透明なルール

出 版 社: KADOKAWA

著     者: 佐藤いつ子

発 行 年: 2024年04月

透明なルール  紹介と感想>

驚かされたのは、KADOKAWAさん発行の児童書でギフテッドを題材にしているところです。例のギフテッド問題から一年程度の段階で、こうした作品を刊行するにあたっては、細心の注意が払われたのではないかと思います。巻末には小児科医による監修も明記されており、ギフテッドを多面的に捉え、一般的に考えられているギフテッドという言葉とも違和感がないものと感じます。正しい手続きを踏んで、抜かりなく対応をしたということでしょう。そもそも、ここにはルールなどなくて、どの程度の期間、この題材に触れてはならない、などと決められているわけではありません(もしかしたら会社の内規はあるかもしれませんが)。自分のように、やや驚いてしまう読者もいます。とはいえ、出版社側がそうした反応を想定して、事前に配慮しすぎて、この題材に一切、触れない選択をする方が問題なのです。少なからず反響はあるでしょう。好意的な評価だけではないかも知れません。それでも、誰かを傷つけるものでなければ、表現すべきは表現すべきです。この物語で言う「透明なルール」とは、同調圧力のことです。理不尽な校則が撤廃されたのに、過度に自己抑制を行なう中学生たちの心に兆すものが描かれます。それは気遣いや適正な配慮ではなく、過剰な防衛です。防衛するのは、攻撃があるからです。ただこの攻撃は目に見えるものではなく、疑心暗鬼が生み出したファントムなのかも知れません。適正な配慮や気遣いに心を尽くすことは美徳です。わきまえることも大切です。ただそれによって損なわれるものがあってはならないのです。端的に言えば、匙加減が大切ということですが、無味乾燥にならないようなブレンドの難しさを考えます。この本の存在自体が、そんな透明なルールを飛び越える試みに満ちたものであることがまた面白いところです。

中学校二年生の女子、優希(ゆうき)が通う椿中学校は、髪型や服装に関する厳しい規則があり、ブラック校則とさえ言われていました。しかし、この時勢もあって、理不尽な校則はこの新学期から廃止されることになったのです。校則がなくなったことは嬉しいものの、優希が気になるのは、みんなはどうするのかということでした。好きな格好をしたいとは思いながらも、周囲から浮きたくはないのです。誰かに先陣を切って欲しいと思いつつ、自分は様子見というのが大勢です。結局は以前とあまり変わらない保守的なスタイルとなる。そんな新学期、優希のクラスには転校生が加わっていました。成績優秀者が通う有名校からきた、米倉さんは、ずっと欠席を続け、教室には現れません。ついに現れたかと思えば、その数学の才能を発揮しすぎてノートもとらないため、逆に数学教師の不興を買うことになります。体育祭のクラススローガンを決めるホームルームでも、『心ひとつに』という案を、そんなのは大嘘だと言って、周囲の空気を凍らせます。しかし、その言葉は優希の心にひっかります。皆が同じ価値観に従わなければならないことに、また周囲の目を意識して、自分の好きなものを好きと言えないことに、優希は苛立ちを覚えていたのです。ギフテッドとして特別な才能がある一方で、聴覚と視覚が鋭敏すぎて、大きな音などが苦手なHSC(バイパーセンシティブチャイルド)である米倉さんは、教室で普通に過ごすことができません。人と同じ、があらかじめ難しい人もいる。優希は自分に問いかけ、どうしたいのかを考えていきます。ホームルームで、体育祭は全員で勝つことではなく、全員で楽しむことを提案した優希。周囲から浮くことを恐れて意見を言うことも憚ってしまう自分達は、自らを透明なルールで縛っているのだと指摘します。人と同じでなくてもいい。意見を交わすことが大切なのだ。優希の言葉は、同級生たちの心にも浸透していくのです。

多くの論点がある作品です。キーワードとしての、ギフテッドもHSCも同調圧力も、児童文学が触れるだけでも話題になるものかと思いますが、それよりも、個人主義や多様な価値観を認めていこうという姿勢が示されるあたりに注目です。いや全体主義や勝ち負けにこだわるような価値観に疑義を呈する姿勢にでしょうか。物語は、勝負にはかならず勝たなければならないという圧力や、クラスの団結を強制するような志向性にノーを突きつけていきます。つまりはリベラルに寄っているのです。かつては美徳とされた、クラスみんなで絆を深め、目標に向かって心を一つにしていくことに、主人公は違和感を感じてしまいます。これを協調性がないと一刀両断せず、人間を疎外しない教室のあり方として肯定されていくあたりが核心です。子どもにとってのウエルビーイングとは何か。もはや一つの旗の下に集うことの悦びが描かれる時代ではなくなっています。一方で、それぞれが本音を腹蔵なく語り始めた時、そこに生まれた交流に優希は高揚します。暗に、見えないルールで縛られているのが、現代の大人であり、子どもたちです。どうふるまうべきか。自分の心の声を聞き、それに従うこと。意見を交わしながら、それぞれが互いに価値観を尊重して、共存していく社会のひとつの理想が浮かび上がってくる物語です 。さて、「変わり者女子」が同調圧力によって排除され、教室に居場所を失っていく物語が多々あります。その様子を、クラスでも目立たない平凡な主人公は、なす術もなく見守りがちです。多様性がより尊ばれる時代になって、人が許容される余地は広くなったのか、それとも、緩やかに黙殺されているだけなのか。誰にとっても居心地の良い空間を作るためには、互いの気遣いが必要ですが、共存するために関わらなくなっていくという進化の形も考えてしまうところです。そう言った意味では、協議することに意義を見出す本書は、現時点での暫定的正解のひとつかと思うのです。