ぼくと<ジョージ>

George.

出 版 社: 岩波書店

著     者: E.L.カニグズバーグ

翻 訳 者: 松永ふみ子

発 行 年: 1978年07月

ぼくと<ジョージ>  紹介と感想>

イマジナリーフレンド(空想上の友だち)を、精神分裂か二重人格だろうと考えるのは、ごくフラットな発想かと思います。自分だけに見えたり聞こえたりする存在がそこにいるとしたら、合理的な判断としては心因性の何かだと考えるのが普通ではないのかと。ところで超常的な存在を認められないのは、頭の堅い人間の所業であって、物語では「わからずや」や「つまらない大人」という仮想敵とみなされます。サンタクロースが本当にいたり、幽霊や宇宙人が存在する物語の世界線では、イマジナリーフレンドを、脳が見せる幻影だと納得するのは野暮なのです。本書でも、主人公の少年、ベンに、ジョージというイマジナリーフレンドがいることを、大人たちはベンの精神的な問題として歩み寄ろうとします。それはとても親切な態度で親身になってくれているわけですが、ジョージの実存を認められない時点で、決めつけがちな、わからずやで、つまらない大人たちなのです。ということで、現実と物語には大いに距離があるわけですが、本書は、ベンの家庭の問題なども仄めかされているために、より複雑なのです。思春期のメンタルの抜群の不安定さを補完するサムシングとしてのイマジナリーフレンドの存在は、ファンタジーなのか、リアルなのか。逆に言えば、イマジナリーフレンドを必要としない人は健全な心の持ち主なのか。『ハムレット』のように、主人公が「幽霊を見る」必然性を物語は提供します。なぜイマジナリーフレンドが主人公には必要なのか。そのあたりから考えてみたいところです。

特別な才能を持つ子どもであるベン、ことベンジャミンは、公立の実験校、アストラ校に通う十二歳。ここでは生徒の程度に応じて進級し、高度な授業を受けることができる英才教育が施されていました。今は六年生のベンも、四年生の頃から上級生のウィリアムの実験相手となり、生物学を履修していました。勉強が忙しく、友だちと付き合うことができなくても、ベンには幼少の頃からイマジナリーフレンドであるジョージといつも一緒であり、孤独を感じることもなかったのです。ベンの身体に共生するジョージは、奔放で口も悪い。物静かな、はにかみやであるベンとは対照的な性格でした。アストラ校では上級生になれば、大学レベルの化学実験や研究を行うことができます。ベンにはまだそこまでゆるされていませんが、この分野にのめり込んでいくベンの態度が、ジョージは自分が無視されたようで面白くありません。ウィリアムのことを俗物だと反感を抱いているジョージは、ベンが彼に近づくことも不愉快なのです。そんな折、学校の化学実験室から器具が盗難される事件が起きます。二つの人格で話をする挙動のおかしさを不審に思われ、ベンは、無意識のうちに盗みを働いたのではないかと疑われます。一方で、ウィリアムに疑いの目を向けるジョージと、ベンは対立することになります。事なかれ主義で人の意見に耳を貸さないベンを、ジョージは叱責することを諦め、沈黙したまま表に出てこなくなります。しかし、これまでベンを危険から遠ざけようとしていたジョージが消えたことで、ベンに危機が迫ります。さて、ベンはこの危機をイマジナリーフレンドの助けなしで乗り切ることができるのでしょうか。1970年に書かれた先進的テーマの作品です。

『ライラの冒険』(フィリップ・ブルマン)に登場するダイモンは、実在するイマジナリーフレンドであり、常に当人の傍らにいて、他人にも見ることができる実存です。おおよそ動物の姿をしていますが、会話もできる無二の親友であり、この世界ではダイモンがいない人生なんて考えられないのです。人が「影」を失ったらどうなるか、という物語と同じく、人間性の一部であるダイモンは切り離せないのです。人の心は不安定であり、支えてくれる存在が必要です。イマジナリーフレンドは、そうした願いが像を結び、具現化したものかも知れません。ただ、本書では、イマジナリーフレンドがイエスマンではない、というあたりが面白いところです。当人を全面肯定してくれるわけではなく、愛想をつかし、離反するという、まさに、リアルな友人のような存在なのです。これを二重人格と考えるならば、実に象徴性があって、自分の中にあるアンビバレントなものが発露したものという解釈で読むこともできます。人は自分の心をどう支えて生きていくか。思春期を乗り切るのはとても難しいことです。なぜなら周囲にいるのが、同じように思春期を持て余した子どもたちだからです。本書では、年長のウィリアムというクセものにベンは翻弄され、そこをジョージが救います。LEDを平然と精製するメンタルの持ち主であるウィリアム。彼にとっては、ベンのような子を支配下に置くことなど造作もないことです。ジョージがベンに、ウィリアムと距離を取らせようとすることは、もしジョージがベンの別人格だとすれば、心の底にあった不審や警戒感の表出だと考えられます。などと心の多重性を考えるのはどうなのか。イマジナリーフレンドは絶対的な親友であり、人生をサポートとしてくれる強い味方として、そこにいるのです。それを疑いはじめたら、もうつまらない大人なのです。余談ですが『バッドアンドクレイジー』という面白い韓国ドラマを見ました。主人公だけに見えるもう一人の自分の人格は、はまさにイマジナリーフレンドであり、自分を窮地から救ってくれるヒーローであり、それは自分自身でもあるのです。おすすめの作品です。