出 版 社: さ・え・ら書房 著 者: ミルヤム・プレスラー 翻 訳 者: 中野京子 発 行 年: 1992年03月 |
< ビター・チョコレート 紹介と感想>
先生に「好きな人とペアを組んでください」と言われて、組む人がいなくて気まずい思いをしたことがある人は幸いです。この本はそうした人のためにあるからです。体育のチーム分けなどもそうでしたね。運動が得意な子や人気のある子から選ばれていく中、余り者の自分は所在のなさに消えてしまいたくなる。そんな痛みに覚えがあることが読書の糧になります。嬉しくはないですね。自分が人から好かれていないことなんて、自分が一番良くわかっている。その理由に心当たりもあるはずです。自分の欠点ばかりが目について、人に疎まれているように思えてしまう。だけれど、好かれようとふるまうことは恥ずかしい。自分が嫌われ者であることに気づいていることだって気取られたくはないのです。プライドばかり高くなり、一方で卑屈にもなってしまう。正解は「気にするな」です。人に好かれようが嫌われようが、どうだっていいでしょう。そう開き直れないのが思春期です。自分の欠点が足かせになって、美点を活かすことができない。そもそも自分の欠点だと思っていることだって思い込みなのですが、まあ、傷つきたくはないものですし、突き詰めて考えたくはないですね。この物語は、主人公である太っている女の子のセンシティブでネガティブな内面が語られていきます。そうした考え方になっていく家庭環境や学校生活が綴られます。ここには負の連鎖があるのですが、そのループから自由になるカタルシスもまた描かれます。こうしたメンタリティに心当たりがある人には、しんどい読書となるはずですが、目をそらさないことが、コンプレックスの坩堝からの突破口なのかも知れません。
たいして身長が高くないのに、67キロの体重があるエーファ。自分が学校で避けられているのは、太っているからだと思っています。ギムナジウム(進学学校)に通う成績優秀な生徒ながら、劣等感に沈んでいるのは、自分が他の子たちのような、ほっそりした体型ではないからです。同級生たちと自然に親しくすることができず、内にこもりがちな彼女。疎外感を紛らわせるために過食に走り、余計に悲しくなっていく悪循環に陥っています。ある日、道で自分と同じ十五歳の少年とぶつかったことから、彼と親しくなります。彼の名はミヒェル。職業学校に通っていて、もうすぐ船員になって船に乗るのだと言います。ミヒェルから好意を寄せられていることを感じながらも、エーファは自分の外見を気にするあまり、素直に歓ぶことはできません。エーファの性格を複雑にしているのは、家庭環境の影響もあります。やや独善的で無神経なところのある父親の愛情は、自分よりも弟に向けられているとエーファは感じています。家族仲は良いというわけではありません。専業主婦である母親もまた家事に追われるだけの毎日に鬱屈を抱えていることをエーファは感じとっています。母親はエーファが体型を気にしているというのに、ボリュームのある食べ物ばかりを食べさせようとします。それを嫌だと思いながらも、エーファだって、ついついチョコレートに手を伸ばしてしまいがちなのです。不満の解消方法が食べることであり、そのためにより太っていくエーファ。ミヒェルの自宅に招かれても、エーファの体型をミヒェルの兄がからかい、ハードな兄弟喧嘩が勃発したりと、気まずい出来事が続きます。物憂い日々を生きているエーファですが、それでも転機はきます。学校でクラスが分割される動きがあることに反発して、同級生たちと一緒に反対運動に加わることになったエーファ。初めて周囲との連帯感を抱いた彼女の高揚。少しずつエーファに見える世界が変わっていく物語の終わりには、ささやかに希望が灯ります。
脂肪の層に閉じこめられて身動きが取れない。そんなふうに自分自身のことを考えているエーファの心理状態は、かなり鬱屈しています。周囲の同級生が明るく楽しく青春を謳歌していることにさえ傷ついてしまう、というのも深刻な鬱状態です。それぞれ人は悩みを持っているものですが、エーファは自分の気持ちと向き合いすぎて、人の気持ちに気づいていません。優秀な学校に行っているエーファと引き比べて、ミヒェルが恥ずかしく思っていることだって、目に見えることではないのだから大したことはないと思ってしまうのです。反対運動で同級生たちとの交流が生まれて、彼女たちがエーファを思っていたのかを知り、戸惑います。自分の思い込みで、人から馬鹿にされていると考えるのは、それはそれで失礼なことなのかも知れません。少なからず敬意を抱いてもらえていたなんて、逆にどうして良いのかわからなくなってしまうものでしょう。自分で自分を闇の中に押し込めることは止めた方が良い。ありのままの自分を過小評価することなく受け入れる。それをエーファが、少しずつ感じとっていく物語です。1980年にオルデンブル児童図書賞を受賞した作品であり、翻訳刊行されたのも1992年です。現在(2022年)の視座から見ると、子どものメンタルヘルスが意識されていないことに驚かされます。また、愛情はあるけれど無神経な物の言い方をする両親の態度など、問題視される点は多いと思います。学校でストレスを抱えたエーファが、ニシン入りのポテトサラダを買い食いして食べ尽くす鬼気迫る場面や、台所で食べ物を貪る自分に慄く場面など、かなり病的で、これは現在では病気だと認識される状態でしょうね。適切な治療と、ちゃんとしたアドバイスを与えてくれる大人が必要だと思います。とはいえ、こうした状況下を生き抜く子どもたちの心情が綿密に綴られた本書だからこそ、辛い気持ちを抱えた子どもたちにも寄りそえるのかとも思うのです。まあ、なんとも痛みを孕んだ作品です。