ラケットはつくれない、もうつくれない

戦時下、下町職人の記憶

出 版 社: 梨の木舎

著     者: 青海美砂

発 行 年: 2018年11月

ラケットはつくれない、もうつくれない  紹介と感想>

自分が子どもの頃にリアルタイムで読んだ漫画版の『ドラえもん』に、主人公のび太の父親が子どもの頃に「学童疎開」をしていたというエピソードがありました。当時の子どもの父親の世代は昭和一桁か十年代の戦前戦中生まれだったのです(作者の藤子先生もそうした世代の方でしたね)。僕も父親から「勤労動員」の頃の話を聞いたことがあります。今にして思うと驚くべき体験なのですが、こうした話が伝聞の伝聞になることによって、効力を失っていくことを危惧します。この本の作者の青海美砂さんは本書でデビューされた新人作家ですが、あの時代をリアルタイムで知る方です。物語はお兄さんをモデルにした少年、和彦の視点から、戦中戦後の苦しい時代に職人として誇りを持って生きた父親の姿を中心に、当時の日本の庶民の姿を映し出していきます。お兄さんからの聞き書きと、自分の目で見たあの時代を、作者は書き残そうとしています。日中戦争から太平洋戦争にいたる十五年に渡る戦時を一介の庶民はどう生き抜いたのか。未来に伝えるべき貴重な記憶がここに語られています。

東京都荒川区尾久町でラケット工場を営む父親の元で育った和彦。二十人の職人を抱える工場では木製ラケットが作られていました。父親は自らが優れた職人であり、こだわりを持って製作しているラケットは、名指しで選手から指名されるほどの精度の高さを誇っていました。戦争が深刻な状況となり、国家総動員法のもと、贅沢品であるラケットはもう作れなくなり、代わりに銃底のグリップを作る仕事が国から工場に課されます。無論、簡単に気持ちを切り替えられるものではありません。誇り高い職人である父親の指は、銃を作るためには動かず、それでも周囲に懇願されて、工場にあったラケットのグリップを切り刻むことで、ようやく気持ちに区切りをつけます。しかし、納品の遅れを国家に背く行為だと特高に責められ、拘束され拷問も受けます。戦争の泥沼化とともに時代はどんどんと暗くなっていきます。物資はなく、国家に抑圧され、人の心も荒み、時には他人を売り、人を陥れることも平気で行われるようになる。家や工場を爆撃で破壊されても、それに屈しないバイタリティで、家族を支え、職人としての矜持を全うしようとした一人の名もなき英雄の姿が描き出されていきます。

これは「言葉」で描かれた父親の肖像画です。家族を愛し、愛された人の生涯がここにあります。ともかくカッコいい人です。手先は凄く器用だけれど、人間としては不器用で損をすることもある。「人を殺す武器は作りたくない」と最初は銃底のグリップを作ることを拒んでいたのに、職人魂が黙っておらず、苦心して工具まで作って、見事な精度の製品に仕上げてしまう。権力に屈したことを悔やみ、それでも物作りに腕を振るってしまう自分を自嘲しながら、やはり技術にこだわりを持ち続けてしまう職人なのです。「職人は名前を残さず、技が残ればいい」「十分という言葉はおれの中にはない」「おれは人に喜ばれるようなものを作りたい」。ストイックな職人であり、家族を守る父親であり、けっして威張ることもない寡黙な人。一途で頑固だけれど偏屈ではない。家族にほめられても喜ぶでもなく、「ふん」と照れたようにキセルの灰を落とす場面が凄くいいなと思いました。あとがきに「父の職人魂を書くのは私しかいない」という思いに突き動かされて書いた物語であると作者の執筆の動機が語られています。昭和の苦しい時代を生き抜いた一人の男性の姿がここに繋ぎ止めれられていました。なんとカッコいい生き方であろうかと憧れてしまったので、作者の目論見は成功していると思うのです。戦後数十年が経過し、息子の和彦が退職後、ニュージーランドに海外旅行に行った際に現地の博物館に残された日本兵の銃のグリップが、父親の製作したものだと気づく場面があります。これが実話であり、創作のきっかけともなった出来事なのですが、頭の中に「ニューシネマパラダイス」のエンディング曲が流れ出すような、そんな味わい深い場面でしたね。