世界から守ってくれる世界

出 版 社: 産業編集センター

著     者: 塚本はつ歌

発 行 年: 2020年10月

世界から守ってくれる世界  紹介と感想>

この過酷な世界から守ってくれる「世界」があります。その場所による救いが物語の最後に提示されるのですが、それは主人公の中学二年生の女子、薫子(かおるこ)がもたらしたものです。読み終えて陶然としてしまったのは、彼女が物語を通じて自分の考えを深めて、両親との関係を再構築し、折れるべきところは折れ、大人たちを説得して動かしたからです。大切な友人を守るために、自分が為すべきことを知るために、彼女は考え続けました。この思考する精神が非常にカッコ良いのです。大勢に抗うワケではないものの違和感を覚え続ける教室の地味なアウトローである彼女は、実は心を許せる級友がいないのです。いじめられているわけでも、爪弾きにされているわけではないけれど、地味に所在がないのは、自分の存在が不安定だからです。両親の関係はジワジワと崩れはじめています。薫子の観察眼は、その関係性の問題点を見抜いています。それぞれの求める愛情や矜持には違いがあり、満たされることはない。自分が満たしてあげることも眼中にはない。空中分解する家庭。学校などの、なんらかのコミュニティにもよりどころはない。そんな彼女の心にも兆していくものがあります。トランスジェンダー、モラルハラスメント、D Vなど、注目されがちな題材を、外連味なく実直に捉えて、考えて、行動していく、「少女と少年」の性別を越えた友愛の物語です。

流行りものには興味がなく、惹かれるのは、古い本や昭和時代の漫画や画集。お小遣いをもっても洋服ではなく、つい本を買ってしまう。それがギリシア神話だったり、源氏物語だったりする。そんな中学二年生の女子、薫子(かおるこ)。おしゃれに関心がなく、両親が望むような可愛らしい女の子ではないことを後ろめたく思いながらも、それでもどこかそんな生き方に矜持があるのは、亡くなったカッコいい曽祖父の薫陶があったからかも知れません。そんな薫子が学校で親しくしている男子、中鉢(ちゅうばち)は、セーラー服を着て登校しては先生に怒られ、ジャージに着替えさせられる毎日を繰り返していました。夏休みが明けて間もない頃、中鉢がホームルームで「わたしはいま男子の格好をしていますが心は女です」と宣言したことは、クラスを動揺させました。そして、静かに中鉢から遠ざかるという反応を引き出すことになったのです。中鉢をどう受け入れてあげるか。薫子は、そこに自分の奢りを感じて戦慄します。薫子自身、性別によって線を引かれ、求められるものに違和感を持っていました。先生が男女を、旧来の枠組みで乱暴に捉えることに、トランスジェンダーならぬ薫子の心にもアラートが発せられるのです。そんな折、中鉢が父親に丸坊主にさせられたことに、薫子は衝撃を受けます。セーラー服を着ていることが頭の堅い父親にバレてしまい、髪を奪われ、姉から譲り受けたセーラー服も切り刻まれました。中鉢のことを見かねた薫子は、亡くなった曽祖父が遺してくれた空き家に、中鉢を避難させることを思いつきます。薫子もまた両親の不和に心を傷め、逃げ出したい気持ちを抱えていました。遺言で薫子に遺された、生前の荷物をそのままにしたままの曽祖父の家。中鉢を宇宙でひとりぼっちにしないために、薫子は中鉢に笑っていてもらおうと考えを巡らせていきます。両親の不和を前に何もできない自分の無力。自分だけの努力ではどうにもならない悔しさ。薫子は中鉢との対話の中で、自分の心の中にわだかまるものを見据えていきます。内省癖が強い、なにかと考えてしまいがちな女子が、大切な友人を、この過酷な世界から守るために自分が為すべきことを為そうとします。社会的常識に沿って、確実に大人を動かし、中鉢を救う。薫子の心の中で動き始めるものが、鮮やかに描き出されていきます。

薫子は眉毛を整えていません。女の子らしくすることは、そのままの自分を認めていない人たちの存在を意識することだからです。おしゃれをすることが怖い。女性という道を自分が歩き出さなければならないことへの恐怖を薫子は覚えています。自分の将来への不安。夫婦関係が冷めてしまった両親の姿は、薫子の男女観にも大きく影を落としています。モラハラ気質のある父親も、自分勝手なところのある母親も、薫子は覚めた目で見据えており批判的です。その実、両親それぞれが互いに望むことを満たし合えないすれ違いを、その心の寂しさを、理解しています。ただその空虚さを埋めることはできないのです。そんな薫子が父親を説得します。父親はエリート会社員であり、社会性は高いのです。薫子に対する愛情もあることも薫子は理解しています。両親と全面的に分かり合うわけではなく、距離を計りながら、その関係性を維持し、自分の力にもなってもらう。十四歳の中学生が起こすアクションとしては、なかなか高いハードルです。物語を通じて、薫子は自分の孤独を認識していきます。真っ当な女の子ではない変わり者であること。だからこそできることがある。孤独のうちに自分をくすぶらせている子どもたちに勇気と誇りを与える、そんな主人公の力を思います。薫子の整えない眉毛のエピソードは、中鉢と親しくなる物語の道具立てであり、象徴性もあるのですが、毛虫のような眉毛をした女子、といえば、虫めずる姫君であり、日本の歴代変わりもの女子の代表的存在です。変わり者女子が色々と辛い目に合うのがヤングアダルト文学の常套であるだけに、本書の帰結には、やはり陶然としてしまうのです。