出 版 社: メディアファクトリー 著 者: 小路幸也 発 行 年: 2009年10月 |
< 僕たちの旅の話をしよう 紹介と感想>
見知らぬ人に宛てて手紙を送る、と言えば、壜の中に入れて海に放るか、風船につけて空に放つ、というのが定石かと思います。セメント樽に入れられた手紙や、アンティークの古机を買ったら中に数十年前の手紙が、など数々の「未知の人に宛てた手紙」にまつわるヴァリエーションも思い出されますが、実にロマンの温床なのですよね。風船に手紙をつけて飛ばす、という行為を小学生の頃にイベントでやったことがありましたが、今は個人情報云々や環境問題云々で難しくなってきているのではないかなと想像します。この物語は過疎地に住む小学六年生の女の子が、十個の風船に手紙をつけて空に放ったところから始まります。へんぴな田舎の村に住む彼女は、たった一人で分校に通い、だれも友だちがいなかったのです。携帯電話の電波は通じず、インターネットの環境もなく、「手紙」という伝達手段しか彼女は持っていませんでした。放たれた風船につけられた手紙を受け取ったのは、東京に住む三人の少年少女でした。物語の導入はワクワクさせられるような、そんな偶然の出会いから始まります。そして、意外にもミステリアスな展開を見せていくのですが、実に爽快な「読む快感」を持った物語となっています。解説の金原瑞人さん曰く『最近の児童書が忘れたものをもっている』という一般小説からの越境作品ですが、小学生も読んで楽しめる物語だろうなと思います。無論、大人もですよ。
三人の子どもたちは、それぞれその風船を見つけました。高層マンションの最上階に住む小学五年生の健一は、その特別な視力で、はるか彼方からその風船が飛んでくるのをみつけました。匂いに敏感な少女、六年生の麻里安は、川に浮かんでいた風船と手紙を、音を詳細に聞き分ける能力を持つ六年生の隼人も、アンテナにひっかかっていたその手紙を手に入れました。偶然にも、目、鼻、耳が人よりも特別に利く東京に住む三人が、舞という名の田舎に住む少女が風船につけた手紙を拾い、彼女に返事を書きました。喜んだ舞は、三人にそれぞれ手紙でほかの子たちのことを紹介し、先んじて親しくなった東京の三人は、実際に会い、パソコンのチャットやメールを通じて交流していきます。境遇の異なる三人は、お互いの話をするうちに、それぞれが家庭にやや問題を抱えているのを知ることになります。それぞれが特別な能力を持っているのも、ちょっと悲しい事情から発達した力だったのかも知れません。中でも、有名な元野球選手の父を持つ健一の家庭は、お父さんがおかしな宗教にハマリはじめたことから不協和音を発し始めていました。繊細な心を持つ健一のことを、年長の麻里安と隼人は案じつつも、なんとか夏休みには都合をつけて、三人で田舎に住む舞のところに遊びにいこうと計画を立てています。でも、そんな矢先、事件が起きます・・・。
そうだよなあ、淡々と日常描写だけで進まないよなあ、と思っていたら、やはり事件が起きるのです。そんなにヒドイ事件でもないのですが、やや心配にはなります。そして、子どもたちの勇気と行動力が実を結び、事件は解決へと向かいます。少年少女が自分たちの特技を生かしながら、勇気をもって行動する姿と、なによりも互いを思いやる友愛のすがすがしさがここにあるのです。小路幸也さんは一般小説での人気作家ですが、理論社から児童文学『キサトア』を刊行されたり(これはちょっと、いしいしんじさん風)、児童書ニアリーな本書もまた秀逸な作品でした(本書は2009年にメディアファクトリーのMF文庫から出版された作品で、この感想はその版を元に刊行当初に書いたものです。その後、2011年に集英社みらい文庫から、「みらい文庫版」としても刊行されています)。ところで、金原さんが言われる『最近の児童書が忘れたもの』って何だろうなと思いつつ、この感想を書いています。ストレートですが、親しくなっていく少年少女たちの一体感には、すごくイイ感じがあって、小学生時代にこんなふうに学校を越えたところで友だちができたら楽しかっただろうな、なんて夢想を今更ながらしてしまいました。児童文学的緊張感あふれる世界は読む分には嫌いではないのですが、実際、体験するには、しんどいものだとは思うので。