出 版 社: あかね書房 著 者: 河原潤子 発 行 年: 2008年03月 |
< 花ざかりの家の魔女 紹介と感想>
学校の先生だからといって、子どもとうまく打ち解けられるかというと、そんなことはないのかなと思います。子どもと付き合うのが苦手な先生もいたなあ、と自分の子ども時代を思い出したりしました。そもそも先生なのですから、児童や生徒とは友だちではないわけで、その立場として毅然と距離をおくべきかも知れません。とはいえ、子どもは概して明るく朗らかで優しい先生が好きなもので、気難しい先生にはどうコミュニケートしたら良いのかと戸惑うものですね。この物語は、小学校のクラスの子たちから「灰色の魔女」と呼ばれていた老教師が登場します。それは、一体、どんな人なのかと思うでしょう。あまりフレンドリーなタイプの先生じゃないだろうなというのは、想像に難くないところです。なにせ、魔女で、灰色です。小学五年生の久美は、父の大叔母にあたる「灰色の魔女」に会いに行き、つれなくされ、少なからず傷つきます。子どもを歓待するような人ではないとはいえ、わざわざ会いにきた親族にその態度はないのではないかと思うところですが、それが「灰色の魔女」の子どもに接するスタイルなのかも知れません。先生はどんなスタンスで子どもに接しているのか。そこに人としての矜持や気概や、あるいは不器用さがある、なんてことは、子どもには想いもよらぬことです。そうした大人の心の裡に触れることで、見えてくる世界もまたあります。その人なりに自分を築いてきたスタイルがある。僕自身がどうも人とうまくコミュニケートできない方なので、ややシンパシーを感じるところなのですが、不器用なりに誇りを持って毅然と生きていくスタイルもあるなと思うところです。まあ、寂しいところもあるのですが。子どもの視座から、ちょっと難しい大人を見る。その心の歩み寄りが鮮やかな物語です。
この作品、非常によく出来ていて、二つの寸景がうまく組み合わさり、ひとつの物語として結実していきます。ひとつは、主人公の小学五年生、久美と同級生の男子二人との関係性を描くくだり。気の強い久美は、けっこう平気で男子を叩いたり、言い返せるタイプです。ションこと、やんちゃな少年、翔太と久美は保育園からの「くされ縁」。ションというあだ名も、お漏らしをした翔太を久美がそう呼んだことが始まりです。ションはションで、久美のことをミクと呼びますが、これはちょっとインパクト不足か。さて、三年生の時にクラスに転校してきた克展に、ションはいきなりコッテンというあだ名をつけます。ちょっといい顔をしていて、女子にも人気となった東京弁のコッテンを生意気だと思ったのか、コッテンに絡んでいくション。久美は、コッテンが男子全員からいじめられるようになるのではと心配します。そんなコッテンは両親が離婚しており、お母さんが夜勤の関係で、久美の家である丸山食堂で、久美と一緒にいつも夕食をとることになります。これが久美としては複雑なところなのです。大人しいコッテンと京都弁の久美のやりとりが実に面白いところ。どうもコッテンのことが気になる久美は、五年生になったいまも彼がションにいじめられているのではないかと思っています。とはいえ、久美の思惑をよそに男子同士にはまた別の関係性が生まれており、この三者の個性的なキャラクターによる繋がりや空気感が実に読みどころのある物語を作り上げています。一方で、久美には頭を悩ませている家の問題があります。冒頭に書いた「灰色の魔女」の一件です。この魔女に、何故か、ションとコッテンと三人で会いにいくことになるという展開も、また面白いところなのです。
久美の祖母の母親の姉。祖母がオーバと呼ぶ父の大叔母は、小学校の先生として勤め上げ、生涯独身のままで現在も一人暮らしをしています。久美にとっては、お正月の年賀状の上でしか知らない親戚です。祖母や父も大恩があるオーバは高齢で、もう一人暮らしが難しいのではと、こちらの家に引き取ることが検討されていました。とはいえ、オーバはとても厳しい人で、人嫌い、とくに子どもが嫌いで、クラスの子たちから「灰色の魔女」と呼ばれていた、などと言われると久美としても複雑な気持ちになります。オーバと一緒に暮らすことは難しいという母親の気持ちもありますが、そもそもオーバはどう考えているかもわからないまま揉めている家族。久美は、ここで、思い切ってオーバの家を訪ねることにするのですが、結局、つれなくされてしまうのです。オーバのことを嫌になってしまった久美ですが、祖母からオーバのこれまでの生涯を聞き、「心に鎧をまとった」オーバの心のうちに触れてみようと決意します。花がたくさん飾られた、花ざかりのオーバの家で、久美は再び、オーバとの対話を試みます。ここで久美は、オーバが厳しい教師として誇りをもって生きてきたことを、子どもたちから魔女と呼ばれていたことを懐かしむ様子から伺います。久美もまた、自分がコッテンに失恋したことをカラリと打ち明けたりと、心の交流が進みます。オーバには認知症の兆候もあり、現実的に考えれば、介護問題は非常に難しくもあるのですが、久美が決意した気持ちが、明るく未来を照らします。年配のわりと気難しい独身女性が子どもと関わる物語、という常套が児童文学にはあります。大人もまた不器用であり、子どもが歩み寄らなくてはならない場合もあるものです。そこに生まれる心の触れ合いのスパークが愛おしく、胸を打ちます。