赤いペン

出 版 社: フレーベル館

著     者: 澤井美穂

発 行 年: 2015年02月

赤いペン  紹介と感想>

ひとつのアイテムが多くの人の間を渡り歩くことで紡がれていく物語があります。銃であったり、硬貨であったり、道具立ては色々ですが、手にした人間の運命に少なからず影響を与えて、また次の持ち主の手に渡っていく様は、まるでその物自身が意志を持っているかのようです。こうした物語の常套が、ペンという「筆記用具」を題材にしたとしたら、さらに興味深い展開が期待できます。そのペンは手にした人に何を書かせるのか。本書はミステリアスな面白さと、児童文学としての情感豊かな味わいと、物語が物語を物語るメタ物語の思索的な要素が混然となった、サービス満点の一冊です。表紙は、なんとなくホラーをイメージさせるものの、予想を裏切る展開の意外性があります。これは人の血を吸う赤いペンをめぐる恐怖の都市伝説や怪談かと思いきや、そこにあったのは物語を希求する遥かな想いなのです。人見知りで、コミュニケーション下手な十四歳の中学生の女の子が、密かにささやかれる「赤いペン」の噂を聞きつけ、その真相を調べていきます。ネットで検索してもたどり着けないのならば、自分の足と目と耳で調べるしかない。人と話をするのが苦手な彼女が、聞き取り調査をすることは高いハードルですが、多くの人たちとの関わりが、彼女の成長もまた促していきます。不得意なことに立ち向かい、やり遂げようと決意を抱いた女子を、放っておけない男子もいて、ワクワクするような物語が語られていきます。第16回ちゅうでん児童文学賞大賞受賞作。良作が多い同賞受賞作の名をさらに高めた一冊です。

そのペンは、手にした人間に何かを書かせて消えてしまう。そんな噂が密かに広がっていました。呪われた赤いペンだとか、持ち主の血をすって生きのびているのだとか、ホラーめいた尾ひれもついているようです。中学二年生の夏野は、この話を詳しく聞きたいと噂話に聞き耳を立てているものの、あえて人に声をかけて聞きだすことができない引っ込み思案なタイプ。自分のコミュニケーション能力の限界にぶつかってへこんでいます。そんな夏野が自分を解放できる場所が地元の文学館でした。たくさんの物語が存在しているこの場所で、学芸員である草刈さんと、ちはやさんとは、夏野は打ち解けて話をすることができるのです。赤いペンのことを調べていると二人に相談したところ、草刈さんに手伝ってもらえることになった夏野は、そのツテを頼って、ペンに関わった人たちの話を聞けるようになります。夏野にはやがて協力者があらわれます。男性だけれど、美しい女性にしか見えないバーのマスターの五朗さんや、同じクラスの男子、春山。ペンの噂を知る同級生に声をかけあぐねていた夏野に、助け舟を出したのが春山です。そのずうずうしい厚かましさで物おじしない春山は、夏野のおしかけアシスタントとなって、この聞き取り調査をコンビで進めていくことになるのです。やがて、ペンを手にしたことのある当事者から、夏野は直接、話を聞くことができるようになります。いずれも、偶然に手にしたペンによって、無意識のうちに、自分の中に眠っている「物語」を書かされることになった人たち。少なからず、人生を顧みるきっかけを「物語」に与えられた彼らの手から、やがてペンは消えていってしまったといいます。ペンの持ち手たちの「物語」に共通して登場する人物は一体誰なのか。夏野の調査は次第に核心に迫っていきます。それは、夏野自身がこのペンの噂話を求めている理由を、同時に物語るものでもあります。夏野に好意を持っている春山と、それには無自覚な夏野の掛け合いも面白いところ。夏野もまた、ずうずうしいだけと思っていた春山の意外な一面を発見したりと、人との関わりの中から目と心を開かれていきます。ペンが書かせたそれぞれの人生の「物語」も魅力的です。核心に向かって謎が解かれていくミステリアスな展開と、「物語」を求めるパッションが、多層に織り成されていく、物語めく物語なのです。

「物語」がある風景、なんて言い回しで使われるところの「物語」とはなんでしょうか。風景につなぎとめられた過去の時間や、人の想いが浮かんでくるのは、主体的にそれを感じとる側の心の姿勢によるものです。道具に「物語」を見いだすことも同じでしょう。たとえば、偶然に生じた事件や事故に、必然や運命を感じとってしまうのも、人の想いの強さによるものです。心の中に「物語」を持っている人でなければ、無機物に「物語」を見出すことはできません。物語は、そこにある、のではなく、物語をそこに見てしまう心の動き、物語を希求する心そのものです。赤いペンは、人の心に潜む「物語」を、文字として書かせてしまいます。それはただの記憶でも記録でもありません。このニュアンスが非常に興味深く、スピリットとして貫かれていることが、この奇想天外な物語を、秀逸な物語たらしめていました。作中に登場する作家、片桐筆の一文が本の冒頭に掲げられています。『何か物語はあるかい? 人が心に秘める想いを照らし、きらめかせては去る。そうして、ペンは旅を続けてきた。物語から物語へ……』読後、まさにこのプロローグ通りの作品だったなと納得すると思います。さて、この赤いペン、物語が進展してくると、古いイタリア製の銀の飾りがついた小ぶりの赤い万年筆であることがわかります。最新型の機能的なボールペンではないのです。物語が、いまだに万年筆に夢をみがちなことは不思議ですね。そういえば、創作で賞をもらった際に、万年筆を副賞でいただきました。これでもっと書きなさい、という励ましだけを受けとって、一度も使わずにワープロで文章を書いています。昔のワープロ専用機なら「呪いのワープロ」もありそうですが、wordは呪われにくいような気がします。ソフトウェアにはあまり物語を感じられないということでしょうね (いや、一太郎ならどうか)。