出 版 社: 静山社 著 者: 濱野京子 発 行 年: 2021年02月 |
< Mガールズ 紹介と感想>
この文章を書いている2021年11月前半時点では、日本でのコロナ禍は一旦、収束して、非常事態宣言も解かれ、平穏な日常が戻りつつありる、という状態です。この文章を遥か未来に読んでいただいている方からは、あれは束の間の平穏だったな、と思われるかも知れないのですが、多少、希望の明かりが灯っている現時点です。言わずもがなですが、2020年の初頭から拡がった新型コロナ感染症は、その拡散を防止するための多くの行動制限を日常生活にもたらしました。会社に通わずに仕事をするテレワークの拡大は、働き方改革を促進するという好機にもなりましたが、子どもたちが学校に通わずオンライン授業となったことなどは、マイナス影響の方が大きかったのではないかと思います。2021年になると、本作のような、コロナ禍による社会変動に影響を受けた児童文学作品も登場し始めます。これがまた色々なアプローチがあり、興味深いところなのですが、通常の学校生活が送れなかったり、コロナ影響を受けて親が経済的に窮乏している子どもたちに寄りそう物語が誕生してきたことは、児童文学が担う社会的役割をあらためて考えさせられました。さて、コロナ禍で不自由を強いられている子どもたちを、物語はどう励ましてきたか。この物語は、現時点からおそらく十数年後の未来に舞台が設定されています。かつてCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)によるパンデミックがあったという歴史的事実があり、それが一旦は終息したという経過が語られ、そこに、もっと厄介な感染症が登場して、現在の日本よりも厳しい外出規制や統制が行われている世界が描かれています。また、不安定な社会には経済的格差がより目に見える形で広がっており、富裕層が住む地域と低所得者層が住む地域は分断し、それが子どもたちの意識にも格差を刷り込んでいます。これもまた現代のコロナ禍が助長したものの延長線上にあるものです。ちょっと前ならデストピア小説と言われたであろう作品ですが、今はこれがリアリティのある未来予測となっていること自体が恐ろしいことです。感染症はいつかゼロになるという甘い励ましではなく、そうした過酷な世界の中でも希望を失わず、手を繋いで生きていく子どもたちを描き、本質を希求していく、人間のバイタリティを感じさせられる物語です。
小学六年生の美梨(みり)の趣味はダンスです。四年生の時にヒップホップで踊るストリート系のダンスのネット動画を見て以来、夢中になって、自分でもステップを覚えて踊れるようになりました。同じ小学校の友人である愛依(めい)と一緒にダンスユニットを組んで、早くダンス動画をネット投稿ができるレベルになりたいと練習を重ねてきましたが、二人が交流できるのはビデオチャットだけ。COVID-19よりも感染力が強くて重症化率も高いARSウイルスによる感染症が猛威を振るっている状況下で、六年生になって美梨が登校したのは始業式だけで、あとはすべてオンライン授業となり、同級生とも直接、顔を合わせることはできません。外に出られるのは、家族ごとに決められた「散歩の日」だけとなれば、リアルで友だちと踊ることなど叶わないのです。いつか野外で一緒にパフォーマンスをしたいと願う二人は、その日のために仲間を増やそうと考えます。ネットで行ったメンバー募集に最初に反応してくれたのは、同じ小六年生の百音(もね)です。彼女の通う第四小学校がエリアCにあることで、エリアBに住む二人はやや警戒感を抱きます。貧困層が住むエリアCと富裕層が住むエリアA。その中間にあるエリアB。感染者もその経済格差に比例して貧しい地域ほど多いのは密集した住環境のせいなのかも知れません。さらに、同じエリアBに住む初心者の麦歩(むぎほ)とエリアAの子でバレエの経験者である、まど香(まどか)が加わります。エリアAの子であるマドカに距離を感じ、その負けん気の強さに手を焼く美梨でしたが、色々な問題を乗り越えるうちに、次第に五人はタブレットの中とはいえ、息を合わせられるようになります。五人の名前の頭文字がMであることから、Mガールズと名付けたダンスチーム。五人の「散歩の日」が重なる可能性は低く、一緒に野外パフォーマンスをすることなど実現不可能に思えますが、ここにチャンスが巡ってきます。行動制限や経済的分断の中で、人の心も希望や進むべき方向性を見失ってしまいがちな世界。コロナ禍に翻弄される現代が写し絵となった、来るべき未来。感染症で父親を亡くし、看護師の母親が感染病棟で働くことを心配しながらも、この制限の多い世界で仲間との友情を深め、精一杯に生きていく美梨。あきらめず希望を未来に繋いでいこうとする意志が、人を結びつけていきます。人は何を守り大切にしていくべきか。そうした時代だからこそ、気づかされる真理がここに輝きます。
凡そ近未来SF作品は、書かれた時代の価値観やメンタリティを物語の舞台である未来に投影してしまうものです。オンラインよりもオフラインやリアルでの繋がりの方が望ましいと思うのも、現代的な価値観ではないかと思います。コミュニケーションの上でリモートの弊害は確かにあるのですが、一方で人同士の適度な距離感が保たれるようになり、新しい関係性や可能性が生まれた気が僕はします(まあ、これは僕自身がコミュニケーションが苦手で、用件は電話よりもメールで済ませたいタイプだからかも知れないのですが)。デバイスやインフラが進化するだろう未来はそうした進化に拍車がかかって、人と人との程よい距離感が実現しているのではないかという予感もあります。そんな新しいモードに人間は適応していくものではないのか、という、これもまた希望です。一方で、失ってはならない尊い関係性もあって、対面コミュニケーションの美徳も温存したいものです。人間が大切にすべき本質が、あらためて問われているのかと思います。未来に投影された現代の物語は、やはり現代の読者である子どもたちへの、今を生き抜くためのメッセージであり、時代の変化に飲み込まれても失ってはならないものを訴えかけます。家族や友だちとの繋がりの大切さなど、ストレートなテーマが描かれますが、このシチュエーションでは、決して凡庸なものにはならず、あらためてその尊さを思わされます。これは自分たち自身が、コロナ禍の時代を生きてきて、当たり前だと思っていたことの大切さに気づいたことの共感があるからでしょうね。ここまでの日々によってもたらされたものも少なからずあるのかと思います。さて、ここからどうなるのか。遠い未来から現在はどう見えているのでしょうか。不安を抱きながらも、今の時間を大切にして生きていった結果が出ていると良いのですが。