ことしの秋

出 版 社: 講談社

著     者: 伊沢由美子

発 行 年: 1997年09月


ことしの秋  紹介と感想 >
もう二十年以上前の作品となるのか、としみじみ思います。1990年代の国内児童文学のアグレッシブさは語るべき点が多いのですが、この作品の個性もまた存在感を見せつけてくれます。「拒食症」や「中学生の妊娠」など際どいキーワードが登場します。ただ、それをセンセーショナルにはとり扱っていません。そうした事象を、あえて問題視せずに逆手にとる手法がこの時代の児童文学作品の中には見受けられますが、この作品もまた、そんなこともわりと普通に語ってしまうし、主人公もごく自然体のままです。この作品の魅力は主人公である中学二年生の女子、ヒロという個性的なキャラクターの心象にあると思っています。髪の毛を脱色し、耳にはいくつもピアスを開け、学校も行ったり行かなかったりというヒロ。突っ張ってはいるものの本当は誰かに自分の寂しさをわかって欲しい、などという旧時代の不良のステロタイプではなく、達観している大人びた子どもという印象です。物語の前段には「両親の離婚」があります。ヒロは同じ作者の『かれ草色の風をありがとう』の主人公のように打ちひしがれることもなく、この問題をそう深刻には受け止めていません。それは両親のことをもう少し客観的に考えられる年齢だからかも知れないし、そもそも自分の存在が不安定だから、かもしれません。不確かな自分自身を持てあました状態から世界を捉えている。しかもそれは、声高に主張するまでもないこと、なのです。主人公のそんなメンタリティで進行していく、実に蠱惑的な物語です。

母親が別の男性と結婚するために出ていってしまい、二人きりで家に取り残されたのは父親とヒロ。父親は会社員の仕事の傍らヒロの生活の面倒を見てくれてはいるけれど、どこか人生を見失ってしまっている様子です。ヒロは自分が子どもであり、いまだに大人から保護してもらわなければならない立場であることにいらだちを感じていいます。それは、自分にとって自分の存在が邪魔でしかたがないという自覚でもありました。そんなヒロが母親の新しい家を訪ねて、もうひとつの家族と顔を合わせます。母親の再婚相手には自分と同い歳の娘がいました。拒食症で、物を食べられないユキ。大人しく、自分とはまったく違ったタイプのユキのことが気にかかったヒロは「拒食症」について調べ始めます。物語はヒロとユキとの不思議な交友関係を描きながら、大きな起伏もないまま進み、やがて終わりを迎えます。などと、簡単にあっさりと物語の紹介は終わってしまいますが、感じとらされることは実に多い作品です。起伏がないと書きましたが、実際、ヒロは自分をシメようとした先輩を逆に病院送りにしたり、妊娠させられた同じ中学のリサイクル部の田中さんと一緒に、相手の男を襲撃するなど、過激な事件を起こしています。それが物語の上で起伏にならないところがポイントです。現象面の出来事は、形而上の問題に比べれば、さして重要ではないし、問題を問題視しない態度によって問題は問題化しないのです。とか言い出すと、物語はなんでも受容できてしまうのですが、そういうこともあるよね、と思わされてしまう感じが実にツボな作品です。

この物語がつきつめるものは、大人が子どもじみた時代に、子どもはどう振る舞えばいいのか、という困惑です。大人の事情で心に負荷を与えられながらも、ユキのように拒食症になることもないヒロは、自分のスタンスを図りかねています。大人が責任を果たすべきことは経済的なサポートだけではない。それなのに、いつしか精神的自立を自ら促さなければならない事態に、我知らず追い込まれている子どもがここにいます。物語はなんらかの希望をとってつけることも、ニヒリズムに堕すこともありません。何も語らないまま止揚することで描き出されるサムシングがあり、この当時のYA作風でも、森絵都さんや、後に続く梨屋アリエさんらの描くタイプの帰結とは一線を画すものが見えます。むしろ、この時代の岩瀬成子さんの『もうちょっとだけ子どもでいよう』や『ステゴザウルス』などが描いた深淵に比肩する作品かなと。この物語が踏み込んだ地点はかなり深く、児童文学としての新しい地平がここに広がっていたと感じています。伊沢由美子さんの作品の魅力は、衝撃的な題材で物語を描くことではなく、「そうした事件が日常である子どもたち」の姿を真正面から捉え、その心情を秀逸な表現力で描き出していくところにあります。しかも直接的に核心を語るのではなく、影を描くことで光を感じ取らせる間接的な表現方法が多用されます。あえて裏返した描き方で関係性を見せる高度な表現によって、一見、つながりがないものにある連関と、共鳴する音を響き渡らせるのです。物語の行間から読み取るべきことは多く、ここにシンクロできる読者はおのずと選ばれるのかも知れないのですが、多少の奢りと、誇りを持って、自分は伊沢由美子さんのファンを標榜しているのです。