サムライの子

出 版 社: 講談社

著     者: 山中恒

発 行 年: 1960年


サムライの子  紹介と感想 >
自分の家がどこにあるのか、誰にも言ってはいけない。ゴム工場の裏のくぼちのかたすみにある三むねの長屋。その場所のことを、町の人たちは「サムライ部落」と呼び、好奇の目で見ているのだから。北海道の小さな村で祖母と二人暮らしをしていたユミは、祖母が亡くなったことで、お父さんの住む、この日本海の海辺の町に引っ越してきました。これまでずっと仕送りを続けてくれたお父さんは「文化的な市営住宅」で暮らしていると聞いていたのに、本当はこの「サムライ部落」に住んでいたのです。ここは戦後、戦争で家を失ったり、身体が不自由になった人たちの厚生施設があった場所です。ユミのお父さんも戦争で片足が不自由になり、左手の指を二本失っていました。戦後15年が経ち、住む人も少なくなってきましたが、残された人たちは、生活のためにバタ屋(廃品回収業)を営み、ここで暮らしていました。刀のような長い金属の棒をいつも作業用に持ち歩いていたため、バタ屋はサムライと呼ばれていたのです。ユミはお父さんと一緒に暮らせるようになったものの、心境は複雑でした。サムライは貧しく、やはり特異なものとして見られる仕事です。自分がサムライの子であることが、同級生たちにバレてはいけない。でも、町でばったりユミに会ったお父さんが、知らない人のフリをしてくれることには、ユミもちょっと胸に痛いものを感じていました。

ある日、トラック三台に分乗させられた一団が、警官たちに追いたてられてサムライ部落へとやってきます。空いている住居に住みつくようになった彼らは、無職のサムライ、ノブシと呼ばれていました。つまり、浮浪者(ルンペン)なのです。汚らしさはサムライとは比べ物になりません。その中には大人に混じって、何人もの子どもの姿が見かけられます。ボロボロの汚い格好をしたこの子たちは、学校には通っていません。拾い食いや、血を売ったり、賽銭ドロボウをして飢えをしのいでいます。それもすべて親たちに仕込まれているのです。きっとこの子たちは心まで荒廃してしまって、普通の感情など持っていないのだろうと思っていたユミも、近所に住む縁で、次第に親しくなるうちに、ノブシの子たちの心の内を知るようになります。ノブシの子の中に、前科十六犯で、あたり屋(わざと車にぶつかって賠償金をだましとる仕事)をやっている父親と、病気の母親を持つ、ミヨシという女の子がいました。間もなくミヨシの父親は、車への当たり加減を誤って、交通事故で亡くなってしまいます。こうした苦境にありながらも、学校に行くことに憧れを募らせるミヨシに、ユミは手こずりながらも、なんとか活路を見出そうと画策しはじめます。子どもに夢を持たせるような美しい物語ではない、重いリアリズムの中で、それでも、力強く希望は描かれていきます。

経済的苦境にいる現代の子どもたちの物語が、世界では児童文学として描かれています。一方、経済的な面ではそれなりの水準になった現代日本では、貧困にあえぐ子どもを児童文学の中で描きえなくなってきています(※一時期そうでしたが、また変わりつつありますね。2018年現在の所感として)。それは共感を得られにくいからか、出版事情で触れること自体がタブーになってしまったからなのか。貧しさもまた心の豊かさの温床であった、という逆説は今でも持ち出されることではあって、古き良き時代を借景にすることで、郷愁をもって貧しさは描かれることもあります。不幸な環境にいる子どもたちを慈しむ、愛情と祈りが、児童文学の粋であることは現在も変わりません。この『サムライの子』は、貧乏児童文学全盛だった時代に、あえて際立った貧困を描こうとした、作者のたくらみに満ちた作品です。あとがきの中で、作者は読者である子どもたちにこう語りかけています。『どうか、このような子どもたちもいることを忘れないでください。この子どもたちのことは、大人の責任ではありますが、いつかはまた、きみたちの責任になる日がくることも、わすれないでください。そして、この物語が、それまでに、きみたちの心にたとえわずかでも、なにかをのこしたとしたら、ぼくは作者として、このうえなくしあわせです』。この本の読者である1960年の子どもたちは、現代の日本社会を作ってきた、60歳以上の大人たちです。現代の貧しい子どもを描く児童文学が、あまり書かれなくなったのは、読者であった子どもたちが、作者との約束を果たして、豊かな社会を作ったからではないか、というのは美しすぎる想像です。ただ、児童文学にそんな祈りを実現する力があることも願いたくなるのです。