クララ先生、さようなら

Klaras Kiste.

出 版 社: 徳間書店

著     者: ラヘル・ファン・コーイ

翻 訳 者: 石川素子

発 行 年: 2014年09月


クララ先生、さようなら  紹介と感想 >
「〇〇先生さようなら」と言えば、チップス先生が思い出されます。「チップス先生さようなら」は二度、映画化されていて、二度目の作品はミュージカル風でした。その映画を見た後に原作を読みました。好きな場面が原作にはなかったり、あまりにも映画と印象が違っていたことが記憶にあります。原題は「Goodbye, Mr Chips」。そのままでしたね。ただ、それほど「さようなら」が意識される作品ではなかったかと思います、一方、この作品の原題は「Klaras Kiste(クララの棺)」です。棺とは、無論、死者が入れられるものです。ギョッとするようなタイトルですが、意訳すると「クララ先生、さようなら」になります。それしかないなと思いました。さようなら、クララ先生。万感がこめられた言葉です。クララ先生の病気はもう治らない。小学校の先生であるクララ先生が病院を退院したのは、治療を諦めたからです。これ以上、手のつくしようがない。でも、人生を諦めたわけではありません。残された時間をより良く生きるため、クララ先生は教え子たちの待つ学校に戻ってきました。でも、もう教えることはできません。教室の後ろに置いた寝いすで生徒たちを見守り、毎日、本を読み聞かせてくれる。クララ先生のことを大好きな子どもたちは、奇跡が起きて、先生が助かることを祈ります。でも、六十歳になるクララ先生は、奇跡があるなら、小さな子どもの上に起きれば良いのだと皆んなに話します。人生の終わりの時を迎えようとする先生を見守りながら、有史以来、答えが出ていない難問を子どもたちは考えます。読みながら、すごく悩んでしまう作品でした。是非、一緒に当惑してもらえると嬉しいです。

クララ先生が教室に戻ってきたことに戸惑ったのは、生徒の親たちです。できれば、死を考えることから、子どもたちを遠ざけておきたい。その気持ちも良くわかります。人間誰しもいつかは直面する問題ですが、今である必要はない。死を受けとめることの重さや、大切な人を失うことの痛手を大人は知っています。だからこそ子どもには、まだ触れて欲しくない領域なのです。おそらくは大人でさえも、死を受けとめかねているのだろうと思うのです。クララ先生が大好きなユリウスは、クララ先生を思って泣いてしまったことをママに話します。ママは泣くことが嫌いです。泣いてしまうようなことにユリウスが直面することもいやなのです。ユリウスを死にゆくクララ先生から遠ざけておきたい。そんなママをひどいとユリウスは思いますが、実はママ自身が大切な人を失う心の痛手から立ち直っていないのだと、ユリウスは知ることになります。この後のユリウスの邪気のないアクションに、ママは驚かされますが、少し慰められもします。そして、ユリウスの真っ直ぐな邪気のなさはクララ先生に対しても発揮されていきます。そこが、実に考えどころです。

当事者としての死については、自分で経験したことではないので、推論しか持ちあわせていません。死を見守る側の立場は、それなりに経験したものの、どういうスタンスで人を見送ったらいいのか、未だにわかりません。ところで、この物語に大きく欠けているのは「信仰」です。ユリウスも死んだ人間はあの世で過ごしていると漠然と思っていますが、それが、いずれかの宗教に結びついた死生観ではないところが特筆すべき点です。死を悼む時も、神に祈るわけではない。人は皆、天国に指定席があって、そこで楽しく暮らせるのよ、というようなことを、子どもに教える大人は出てきません。無常な世界です。だから、物語はハードになり、そして、芯をうがっていきます。色々な考え方の子どもがいます。何が正しいのかわかりません。物語の最後に、子どもたちは、クララ先生に「棺」を作って贈ります。これが原題の示すところです。これは、かなりの「禁じられた」プレゼントではないかと思います。物語の中でも反対意見があげられることで、一般的な良識とのバランス調整が行われています。黒い棺が怖いというクララ先生のために、明るい色の棺に、クララ先生が好きなものの絵を描く子どもたち。逆説的なのは、死んでから使うものでありながら、生きているうちに見てもらわなければならないということです。クララ先生の最後の時にプレゼントは間に合うのか。大切なのは、やはり生きている時間です。生きている時間を誰かと楽しく共有すること。先生の最後の最後の時間まで、子どもたちが一緒に伴走していたこと。死から目を逸らさず、同じゴールを見ていたこと。それが教育的に正しいかどうかなんて、どうでもいいことです。いや、答えは自分が死んでみないと出ないのかと思っています。死んだら答えが出せないという矛盾を抱えながらですが。ちなみに、もうちょっと年長の生徒たちが、先生の死を見つめる『アップルバウム先生にベゴニアの花を』もおすすめできます。もっと大人となると『モリー先生との火曜日』です。これもまた傑作。チップス先生は、今読むとどうなのかな。