メアリーの鳩

PIGEON SUMMER.

出 版 社: 偕成社

著     者: アン・ターンブル

翻 訳 者: 渡辺南都子

発 行 年: 1998年11月

メアリーの鳩  紹介と感想>

鳩が物語の中で重要な役割を果たす鳩モノ。どうしたわけか明るく楽しいようなお話はなく、大抵が暗く、いたたまれない作品ばかりです。本書もまた貧しい暮らしの中で、鳩を育てることに希望を見出している女の子が主人公です。レース鳩を飼っているとはいえ、それで大成功を収める、ということはありません。大会に出場し、優勝しても賞金はたかが知れていて、貧しい生活の足しになる程度なのです。それでも、胸を躍らせるような魅力が鳩レースにはあって、ヒナの頃から育てた鳩を訓練して、長距離レースに挑ませることには、大きな歓びがあるようです。ちなみに鳩レースは、遠隔地で放たれた鳩たちが、帰巣本能によって、飼い主の家に帰り着くタイムを競うものです。その長い旅路には、荒れる天候に巻き込まれることも、他の鳥に襲われることもあり、無事に帰ってこれるとは限らないものです。現在(2022年)では、小型のGPSを鳩に装着することができ、その位置を把握することができるそうなのですが、当時は、一度放った鳩がどうなるのかは、帰ってくるまでわからなかったはずです。不安を抱きながらも、一心に鳩の帰りを待つ。 そんな人間の姿が象徴するものは、人生のさまざまな苦闘に耐え、そに先に歓びを見出そうとする姿です。人生はままならず、辛いことが多いものですが、それでも何かに希望をつないで生きていくことが必要です。1930年代の英国中部の炭鉱の町を舞台にした、胸の痛くなるような物語です。このいたたまれない感覚をたっぷりと堪能できるところが味わい深い、妙味のある作品です。

もうすぐ十二歳になるメアリー。彼女の父親は炭鉱夫でしたが、労働組合活動に傾倒するあまり、経営者に警戒され、なかなか仕事に就くことができません。家族の生活を支えるお金を稼ぐためには、遠隔地に出稼ぎに行かざるをえない状態でした。父親の趣味は伝書鳩を飼うことです。ヒナから鳩を育てて、訓練し、鳩レースに出場させています。父親が不在の間、メアリーが鳩小屋を預かり、世話をすることになったのは、彼女もまた鳩レースに夢中だったからです。預かった鳩の中でも「スピードウェル」という青い縞模様の雌鳩はメアリーのお気に入りで、父親には止められていましたが、是非、レースに出場させたいと目論んでいました。少しずつ離れた場所に鳩たちを連れて行って、空に放つ訓練をしたり、それを農夫に畑を荒らしていると思われ撃たれ鳩を亡くしたりと、大変な思いもしながら、レースに向けてメアリーは調整を進めます。一方、出稼ぎに行った父親から、当初はお金が送られてきていたものの、それが滞るようになり、連絡さえ来なくなると、母親は心配を募らせていきます。福祉事務所に行き、お金を工面してもらい、なんとか生活を成り立たせようと苦労を重ねます。もとより、鳩なんてくだらないと言っていた母親は、メアリーが餌代がかかる鳩の世話に入れ込んでいることに文句を言い、ついには数羽の鳩を料理してしまうのです。それにショックを受けたメアリーは取り乱し、鳩を連れて家を出ます。ところが、夏の嵐に巻き込まれて、洞穴に逃げ込むことになります。水も食べ物もないまま、穴の奥にうずくまり、助けを呼ぶこともできないメアリー。足をくじき、雨が止んでもここから抜け出せないメアリーは、連れていた鳩に手紙をつけて空に放ちますが、無事、助けを連れてこられるのかどうか。貧しい生活の中で、家族のことを心配しながら、ささやかな希望を鳩に託しているメアリー。やがて助け出されたメアリーが、レース中に嵐に巻き込まれた「スピードウェル」の帰りをずっと待ち続ける、その願いと祈り。どうにもならない貧しさに向き合いながら、健気に生きていく子どもの姿に、いたたまれなさが炸裂する物語です。

読みどころは、メアリーのお母さんの存在感です。メアリーの大切な鳩を料理してしまったりと、残酷な人かと思われますが、ここでは鳩料理はポピュラーなものであり、そう悪気があったわけではないはずです。彼女の心中を想像すると色々な思惑が浮かんできます。子どもたちの面倒を見るために必死な彼女からすれば、組合活動や鳩レースにいれあげてしまう、メアリーの父親がしっかりしないことを内心、苦々しく思っているのではなかったか。かつては舞台の憧れ、歌手になりなかったという母親。部屋に飾ってある、若く美しかった頃の自分の写真を、口さがなく言うのも、自分の不幸を思う気持ちがあるのかも知れません。そして、娘のメアリーが父親と同じように鳩に夢中になったり、ご近所で評判の良くないレブル家のアーノルドと親しくなったり、次第に娘が言うことを聞かなくなっていることにも苛立ちます。それでも、娘を想う気持ちは、端々にあらわれているのです。お母さんも大変です。苛立つこともあれば、癇癪を起こすこともあるでしょう。夫不在の貧しい家を支える賢母、だけではいられない等身大の姿がなかなか感じ入るところです。メアリーはメアリーで、レースで賞金を稼いで家を助けようとか、アーノルドから自転車を譲ってもらったのだって、配達のアルバイトをして家にお金を入れようと考えているからです。母と娘の気持ちはすれ違います。それでも、お母さんの頭に血がのぼってしまうのも、メアリーを思うがためであり、メアリーもまたそのことを理解しています。母娘のこじれた関係が描かれがちな児童文学の世界ですが、ちょっとしたピンチを越えて強く結ばれていく姿もまた描かれるのです。