旅する練習

出 版 社: 講談社

著     者: 乗代雄介

発 行 年: 2021年01月

旅する練習  紹介と感想>

『旅する練習』というタイトルがずっと気になっていた本です。なんとなく「恋する惑星」が思い出されたのですが、単純に旅をする予行練習のお話なのかなと思っていました。読み始めると、「練習」をしている二人が旅をする話だとわかってきます。この二人連れは、叔父と姪です。叔父さんは小説家で、風景や情景を言葉でスケッチすることで文章の練習をしています。姪は、中学進学間近の小学六年生で、ずっとボールのリフティングをしています。これもサッカーの練習です。中学受験に合格し進学先も決まった春休み。姪のリクエストで、鹿島アントラーズの本拠地である茨城県の鹿島市に、ある目的で行くことになった二人。練習をしながらの旅、ではあるのですが、旅行ならぬ旅という言葉に寓意を見出してしまうと、これはいつか人生の「本当の旅」にでるための予行練習のようにも思えてきます。それは未来ある姪に、叔父が予期せずに見せることができた僥倖です。叔父は主体的に何かをするわけでもなく、多くを語るわけでもないけれど、叔父とのこのゆるやかな旅が姪にもたらしたものは大きいはずなのです。さて、本書は、大人向けの文芸書であり、純文学です。物語も叔父の主観によって語られ、姪の気持ちがどう動いたのかは、彼女が宿題として書いた日記を除けば、想像の域を出ません。ヤングアダルト文学として読むには(このレビューはヤングアダルト作品を紹介するという前提で書かれています)、その余白を埋めなければならないところです。それでも、この春の旅が清々しく、姪の心の成長に大いに兆したものを、読者は感じとれると思うのです。三島由紀夫賞、坪田譲治文学賞受賞作。

小学六年生のサッカー少女、亜美(あび)が、無事、中学受験に合格した春休みに、叔父さんに鹿島に連れて行って欲しいとねだったのは、鹿島アントラーズのホームで試合を見るため、だけではなく別の目的もありました。これがコロナ禍による非常事態宣言が出される一ヶ月前。叔父さんもそれを引き受けたものの、コロナ禍が進み、学校は休校になり、もはや不要不急の外出は避けるべき、というムード。それでは、感染を避けるためにもと思ったか、利根川沿いに歩いて鹿島まで行こうと叔父さんは提案します。四、五日はかかるだろうという行程を、二人は文章とサッカーの練習をしながら、他愛もない会話を交わしつつ、旅を続けます。お不動様の真言や、川辺の鳥の生態など、叔父さんの珍しい話に耳を傾け、興味を示しつつ、それでもオムライスばかり食べたがる亜美は、まだ邪気のない少女なのです。そんな二人が旅の途中で出会ったは、みどりさんという、就職を間近に控えた女子大生でした。鹿島スタジアムまで歩いて行くという彼女と同行することになった二人は、彼女がサッカーというよりも、鹿島アントラーズの指導者であるジーコの人柄に惹かれているという話を聞きます。内省的で繊細な、みどりさんは、こうして行きずりの二人と親しく関係を持つことさえ、心に複雑なものを抱えてしまうタイプの人です。無邪気な姪と淡々とした叔父は、そんな彼女との縁を大事に扱っていきます。特に大きな事件も起きることもないまま、それでも、こうしたささやかな関わりを、姪がどう受け止めていくのか。叔父は姪を温かく見守り続けながら、その文章の中に、この大切な練習時間を繋ぎ止めていくのです。

この叔父さんの年齢は幾つなんだろうと考えていました。小学六年生の母親の弟、となると、まあ三十代にはなっているだろうと思うのですが、彼が旅先で思い浮かべる文人たちのエピソードといえば、田山花袋や柳田国雄、そして小島信夫などで、彼自身も、令和の若者らしさはなく昭和の文士のような老生したスタンスで佇んでいます。そこには日本近代文学伝統芸の私小説世界が結ばれていきます。こうした「作家」が語り継ぐのであれば、このスタイルも安泰だなあと、ちょっと懐かしさとともに頼もしくなりました。叔父さんの文章による情景のスケッチもまた流れるように淀みなく見事なものなのです。そこにサッカーや、中でもジーコと鹿島アントラーズに関するちょっといい話が展開するというあたりが意外であり、ただ面白かったのです。フラットに考えれば、縁もゆかりもない外国人が指導者として招聘されて、チームのみならず、鹿島という地域の興隆に尽力するというのは並々ならぬことで、ここで紹介されているジーコの人柄を表したエピソードも印象的です。自分はサッカーにはまったくと言っていいほど思い入れがありません。ジーコについても、かつての名選手で日本代表の監督をやっていたぐらいしか知りませんが、ああ、矜持のある立派な人なのだなと思えてきます。本書に登場する、ややメンタル的にまずい感じの、みどりさんが、サッカーへの興味よりも、人としてのジーコに惹かれていくあたりも健全なのかどうか。内省的でナーヴァスすぎる、こうした感じの若い女性には面倒くさいので関わりたくない、と考えてしまいがちですが、姪は純粋に心を寄せていきます。叔父さんは色気を出すわけでもなく、嫌悪を感じるわけでもなく、こうした若い女性に対して、いたってフラットなのが、やはり老生しているところです。人との適切なディスタンスが求められた時代です。野蛮に近づきすぎず、それでも隔絶しない人との繋がりとはなにか。そんなテーマも垣間見えてくる春の旅です。