ノクツドウライオウ

靴ノ往来堂

出 版 社: あすなろ書房

著     者: 佐藤まどか

発 行 年: 2023年04月

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恥ずかしながら足がデカいです。28センチの幅広です。何が恥ずかしいのかというと、バカの大足との風評があるからだけではなく、靴屋さんで自分の足に合う靴の有無を聞いても、店員さんに気まずい思いをさせることが多いからです。足が入る靴があればラッキーというところで、選ぶ余地はないです。ジョーン・バウアーの『靴を売るシンデレラ』は、靴屋さんでお客さんに靴をフィットさせることに歓びを見出したアルバイトの女の子が主人公ですが、そんな子をもガッカリさせるだろう自分が恥ずかしいわけです。合わない靴を履いていると、歩くことも嫌になります。かろうじてネット通販のおかげで、サイズの合うものを入手することができますが、それでも慣れるまでの苦闘はあります。革靴は特にそうですね。本書のようなオーダーメイド靴店で、足に合う完璧な靴を作ってもらえたら、どんなに良いかと思うものの、まあ、敷居は高いものです。金額の問題だけではなく、どこか申し訳ない感がある。自分が既製品ではない靴をオーダーするような立派な足ではないという自己認識があるからです。合う靴がない、ということが人間をいかに卑屈にさせるかという一例です。本書に登場する靴店、往来堂で靴を作った人たちが、とても幸せそうなことを羨ましく思います。履きやすく、歩きやすいだけでなく、丁寧にケアすれば長持ちするし、デザインもお洒落となれば、言うことはない。そんなふうに人の人生を幸せに変える靴を作ってくれるお店の物語です。靴に恨みは数々あれど、なのですが、幸福な靴の物語を満喫することは誰にでもできるはずです。

靴ノ往来堂。本書の不思議なタイトルは、ノクツ(ノ靴)ドウライオウ(堂来往)という店名を標示した看板が、横書きを右から左に読む昔ながらの表記法だからです。看板が古いのは、店が古いから。なにせ百年続く老舗の靴店なのです。既製品を販売する店ではなく、オーダーメイドないしはセミオーダーで、一件ずつ受注製造を請け負う往来堂には、イタリアで修業したマエストロと呼ばれている腕の良い靴職人がいて、お客さんのニーズに応える理想の靴を作ってくれます。中学二年生の女子、夏希の家は家族経営でこの店、往来堂を営んでいます。四代目のマエストロは、おじいちゃんの総一郎。五代目候補だった夏希の兄は、三年の修業の後、何故か家を出ていってしまい、自ずと五代目候補は夏希にシフトしつつある現在。靴に興味はあるけれど、カラフルなデザインシューズを作りたい夏希としては、やや複雑なところもあります。それはマエストロの靴へのこだわりと職人技を間近で見てきたから。その仕事への矜持や靴を履く人たちを思う姿勢は、夏希もまたリスペクトするものですが、将来を決めかねている中学二年生には重責すぎるのです。それでも靴づくりが大好きな夏希が、じっと見つめる先にいるマエストロのほれぼれすような仕事ぶり。お客さんたちの足や歩き方の特性に合わせて、調整された靴が、どんなに履きやすく、歩きやすいか。素材やデザインへのこだわりが、心地よく伝わってきます。物語は夏希と同じクラスで、いつも嫌味ばかりを言うイヤな男子、宗太がマエストロに弟子入りしたいと言い出したことから転変し始めます。大人の前では低姿勢で感じのいい宗太に、夏希は穏やかでいられません。工房見学を許された宗太にも見習いの先輩としての意地を見せたくなる。店を継ぐ覚悟はまだ決まらないながらも、靴を愛し、一緒に働く家族を愛する夏希が、お客様の靴のトラブルに懸命に立ち向かう姿が爽やかな好編です。もちろん、最初は反目しあっていた宗太の、その心の裡を知り、気持ちが近づいていくあたりも、がっちりお望み通りの展開が待っています。

物づくりをするにはしなやかな感性と賢明さが必要だと思います。一方で、どこかバイアスがかからないと、人は動けないのではないかとも思っています。職人さんのイメージといえば頑固一徹で、プライベートでも近寄りがたい雰囲気を醸しているというのは物語の刷り込みです(桂望実さんの『ボーイズ・ビー』に登場する偏屈な靴職人の老人のように)。ところで、本書のマエストロは仕事へのこだわりを持ちながらもフラットで自由な魂を持った方のように見受けられます。同じく佐藤まどかさんの『一〇五度』は、職人である祖父たちのスピリットを受け継いで椅子作りに挑む少年少女の物語でしたが、ここに登場する頑固者といえば、職人である祖父ではなく、ごく良識的な会社員の父親でした。本書にもまた、俗世間の価値観を振りかざす「会社員」が登場します。往来堂の建物の土地を買収してビル建設を進めようとする不動産会社の人たちです。彼らにはマエストロの仕事の矜持など理解しようともせず、ビジネスの交渉を続けようとします。ところが、歩きづらい靴を履いていることをマエストロに見抜かれて、靴のオーダーを薦められたことから、雲行きが変わっていきます。この後の彼らの心境の変化が実に痛快なのです。ザ・俗世間の仮想敵「会社員」である自分としては複雑なところですが、清廉で真摯な物づくりをする人たちのスピリットが幸福な結末を招くこの物語の世界観は、やはり嫌いではないのです。となると、夏希の兄は何が嫌で、修業を放り出して出奔したのかと、その心層が気になるところです。頑固な先代と見解の相違があったわけでもない。このあたりに人間の深層が垣間見えるところで、中学二年生の夏希の視座から見えないものが、物語の奥行きには残されています。夏希と宗太、素直な中学生たちの淀みのない心意気や、反発しながらも前を向いて一緒に歩いていく姿勢に、本物を作ろうとする職人のスピリットが息づき始めている。そんな善意の理想が描かれた物語です。人を幸せにできる仕事は羨ましいなあと思いつつ、会社員としても何ができるのかを考えていきたいところです。