春や春

出 版 社: 光文社

著     者: 森谷明子

発 行 年: 2015年05月

春や春  紹介と感想>

高校生たちが全国区の競技やコンクールに挑むとなると、その大会は〇〇甲子園と名付けられがちです。本書も俳句甲子園という、高校生たちがチームを組み、俳句で勝負する実在の全国大会が題材になっています。文芸や表現活動である俳句で勝負する、ということにまず疑問が湧いてきますが、俳句を競技化するためのルールがあり、審査員の判定によって勝ち負けが決まるようになっているのです。となれば、自ずと勝負に勝つための作戦も攻略法もあり、そのための練習も必要となります。もちろん、過去の名作俳句への造詣や歳時期などの知識、表現の技巧と、そこに掛け算される感受性が必要です。そして、審査員に評価されなければ、勝ち抜けないのです。ここで面白いと思ったのは、競技は作句だけではなく、鑑賞に比重が置かれていることです。相手チームの句を受けて、それを鑑賞することで鋭く切り込んでいく。その句をどう感じとったか、表現としてのわかりにくさや過不足や矛盾点などを突くことで、相手の句の拙さを明らかにし、結果的に自分の句がより評価されるようにするのです。この丁々発止のやり取りが本書でも展開されますが、これが実に面白い。虚をつかれるような指摘に慌てふためきながらも、冷静に受け答えをし、自分のチームの句の価値をあげていく。試合では、誰が書いたのか作者は明らかにされないまま、チームの作品として句を提出していくため、そこに生まれるチームワークやパートナーシップも見どころです。登場人物たちそれぞれを各章での語り手にしながら物語は進み、藤ケ丘女子高校俳句同好会の設立から、俳句甲子園での激闘まで目が離せない展開は続きます。異色の競技に一心に打ち込む真摯な高校生たちの青春の輝きが眩しく、俳句の奥深さと、その深淵に触れていく彼女たちの心の鳴動もまた心地良い。文学的好奇心をそそられる一冊だと思います。

父親の影響で子どもの頃から俳句に慣れ親しんできた須崎茜。進学校と言われる私立藤ケ丘女子校高校に進んだ彼女の不満は、国語の授業で俳句の単元を飛ばすという国語教師の方針でした。俳句は文学ではないと言い切り、「第二芸術論」(桑原武夫の俳句を文学として価値が低いとみなした論考)まで持ち出して否定するその態度に、茜は真っ向から反駁します。クラスで俳句の価値をプレゼンする機会を与えられたものの賛同を得られず、悔しい気持ちを抱えた茜は、逆に闘志を得て、俳句甲子園への出場を目指すことにします。俳句同好会を作った茜は、同じ二年生で文学好きでマネージャー志願のトーコとともに、エントリーするための五人のチームメンバーを集めようと新入生をスカウトします。書道が得意な北条真名。音楽的な感性が豊かな三田村理香。論理的で人の言葉に敏感に反応できる桐生夏樹。個性的な一年生たちと、そこに作句経験のある二年生、井野瑞穂を加えて、ついにチームが出来上がります。英語を担当する男性教師の新野を顧問に迎え、俳句同好会の俳句甲子園を目指す闘いが始まります。初心者の新野は俳句の基本に始まり、俳句とは何かをチームメンバーとともに研鑽していきます。各章ごとに語り手を替え、それぞれが胸に秘めた思いを明らかにしていく構成も面白く、最初は練習試合にも勝てなかった藤ケ丘女子校が、俳句甲子園の地区予選を駆け上がり、ラッキーもあって全国大会出場を決める、そのサクセスぶりに部活モノとして定番のカタルシスがあるところです。俳句甲子園に茜が出たかったのは、かつて、父が参加していた句会で自由律俳句を披露していた同い年の少年、小野田澗との再会を期待していたところがあったからかも知れません。案の定、澗もまた全国大会への出場を決めたチームの一人となっています。俳句甲子園の白熱する競技風景と高校生たちの胸の高鳴り。なんとも伸びやかな青春が謳歌される、真面目で好感の持てる一冊です。

俳句について、また表現について勉強になりました。有名な俳句や句作について、高校生たちが学んでいくプロセスを通じて、基礎からおさらいしてくれるのは、ちょっとかじったことがある程度の自分にとっては、とてもありがたいところでした。澗少年がチームが勝つためにしたためた指導書(覚書)『広がる空を見上げるな』は示唆に富んでいます。空という言葉だけで、その広がりと見上げることは表現できる。十七文字しかない中で、わかりきったことに言葉を費やすことはない。言葉を突き詰めていく姿勢は、俳句競技の「鑑賞」の中でも発揮されます。やもすれば、相手の句のアラ探しとなり、批判ばかりになってしまうところを、相手の句を受け止め、時にはただ共感する。競技の勝ち負けを越えて、鑑賞の本質に迫っていくあたりも物語が閉じていないところです。俳句作成とその解釈に紙面が取られがちですが、自分が自分であることの思春期の葛藤もまた青春小説の本分でしょう。お利口で平凡。そう自認していた茜が、国語の先生に反抗したところから、新しい自分が始まります。俳句同好会の他のメンバーも、皆、品行方正で真面目な子たちですが、ちょっとだけ人と違った個性を持て余しています。それが、俳句という自己表現と、この競技を一緒に闘える仲間を得た時、自分の生きる場所をここに見つけられたのではないかと思うのです。経済的にも恵まれ、豊かな文化的な環境で、教養があり、才能豊かな真面目な子どもたちを描く、という、やや偏った物語ではあるのですが、そんな理想郷にはやはり憧れてしまうものですね。