さよならクックー

出 版 社: ポプラ社

著     者: 今村葦子

発 行 年: 1993年05月

さよならクックー  紹介と感想>

主人公の小学五年生の女子「わたし」が、となり町の小学校に通う男子、犬飼君に初めて会ったのは、夕暮れの寂れた公園です。しかし、「わたし」の一人称で進行するこの物語では、そこは「遊園地」だと語られています。この物語は、今村葦子ワールドなので、目に見えているもの実存が、その不安定で思い込みの強い心境によって揺らいでいくのです。非常に繊細で尖った感受性によって捉えられ、語られる世界は、靄がかかっている魔法にかけられた子ども時代の記憶です。それは、寂しくて、心細くて、泣きたくなるようで、愛おしい、切なさに溢れた時間です。論理的に説明できない、過度な思い込みのフィルター越しに見える歪んだ世界です。でも、悪くはない。胸が痛くなるような切なさが身上です。「わたし」という少女の感受性が受け止めた心象がストーリーを展開していきます。周囲が中学受験に進む中、自分の気持ちを決めかねている「わたし」は、イライラしがちで、ハリネズミなんて言われています。そんな難しい年頃なのです。この物語は、いたたまれない話ではあるのですが、どこかユーモラスで面白いのです。それは「わたし」のピュアで、どこかズレた感性が思う様描き出されているからでしょう。ここが非常に魅力的です。オンドリを連れた少年と少女が街をさまよい歩くデイトを繰り返すだけの「暗い青春」。なんなんだそれはと思うのですが、非常に切実で切羽詰まった状況です。そして、深刻なのに笑ってしまうのも不思議です。少女が少年と出会い一緒に過ごす一夏の思い出なのですが、全然、そんな文字通りの物語ではなく、その本質は説明不能です。これぞ今村葦子ワールドです。まったくもって読解できないし、理屈で割り切れないのです。それゆえに耽溺してしまう、まさに僕が読みたい児童文学なのです。

夏休みのある日、イライラとした気持ちを持て余したまま家を出た「わたし」が夕暮れの公園で出会ったのは、となり町の小学校に通う同じ五年生の犬飼君でした。やせていてメガネをかけた、けっしてかっこよくない少年に「わたし」が惹かれたのは、これが「少年がオンドリを連れている」という不思議な情景だったからです。こんな住宅街で鶏を飼っている子がいるとは。聞けば、町の卵屋さんからもらったヒヨコにクックーと名づけ育てていた犬飼君。クックーはどんどん大きくなり、しかも雄鶏のため毎朝、大きな声で鳴くようになります。アパートの屋上で飼わせてもらっているものの、苦情が寄せられ、そろそろ「始末するように」と大家さんから迫られています。友だちからは犬飼ならぬ鳥飼と呼ばれ、からかわれている少年は、日中、オンドリを連れて町をさまよい歩いていると言います。クックーは犬飼君の手にかかると、簡単に風呂敷に包まれます。この、オンドリを風呂敷に包んで困っている見知らぬ少年と出会う、という状況に「わたし」は、魔法にかけられたような気持ちを抱き、わくわくするのです。ここから、夏休みを「わたし」は犬飼君と、クックーを連れて町をさまよい歩く「デイト」を続けます。クックーをどうにかしなければならない期日は迫っていながら、なかなか妙案は出てきません。そんな日々の状況を「わたし」は、まるで魔法にかけられて、不思議な空間に迷いこんだような気分で見つめていきます。一応、起死回生の解決策が生まれることにはなるのですが、クックーとの切ないお別れの時が来るのはタイトル通りです。少女と少年の不思議な一夏の思い出が封じ込められた物語は印象的に結ばれますが、どこか腑に落ちません。そこが実に蠱惑的なのです。

不思議なことなどひとつもないリアリズムの物語です。それでも「わたし」は、この犬飼君とクックーといる夏を、どこか浮遊感を覚えながら捉えており、彼女のフィルター越しに映される物語世界は不思議な色彩に満ちています。困り続けている犬飼君のキャラクターの妙。フライドチキンが好きだった犬飼君は、もはや鶏を食べることなどできないのだと言います。動物の命を食べる、という深い命題にもこの物語は直面するのですが、そこはなんとなくスルーします。いや、クックーを食べるという選択肢も犬飼君は大いに考えるのです。その苦悩を見守る「わたし」もまた考えこんでしまいます。犬塚君がお父さんのいない片親家庭の子であることにショックを受けたり、犬飼君とクックーと一緒にいることを歓びながらも、人に見られたらみっともないと思っている自分の心を自省したり。思春期のアンビバレントな思いや夢見がちな気持ちが、「わたし」の中で交錯し続けます。野生化した鶏たちが暮らす楽園を偶然、テレビで見つける、という終盤の展開は、なかなか出来過ぎではあるのですが、そんなファンタジックな成り行きも含めて「わたし」の子ども時代のマジックアワーが綴られている、実に印象的な物語です。動物の生命と向き合うとかそういうことが主題ではなく、うっかりヒヨコを育ててしまい、トサカが生え大きくなり続けるクックーに当惑する少年が、自分が情けなくなっている様子がただ面白くて、また、その光景を見つめる「わたし」の、自己劇化を加速させる心理状態の描写に酔わされます。結局のところなんなんだろうこのお話は、と思いつつ、たまらなく良いなあと浸っています。