出 版 社: 講談社 著 者: 椰月美智子 発 行 年: 2006年10月 |
< しずかな日々 紹介と感想 >
大人しい少年、光輝は小学五年生になるまで友だちがおらず、ほとんど誰からもかまわれることなく学校生活を過ごしていました。そんな光輝に訪れた転機は、クラス替えで押野と同級になったことです。押野は明朗快活でありながらも、人のちょっとした寂しさや心の機微に敏感で、声をかけたり、積極的に関わっていこうとするフレンドリーな少年です。光輝も、突然、押野に野球に誘われて、驚いてしまいます。だって、これまで放課後は一人で過ごすものだったのだから。空き地に集まっている野球仲間たちは、他の小学校の生徒もいたり、学年も違っていたりするのですが、そこで光輝もメンバーとして迎え入れられます。さらに驚きの日々は続きます。学校でも、押野を中心に集まってくるクラスの同級生と話をしたり、ニックネームをつけられたり、友だちの家に遊びに行ったり、バットにボールを当ててみたり、飼育委員としてクラスの皆の前でちゃんと意見を言ってみたり。少年らしさが皆無であった光輝が「自分にも出来る」ということの喜びに溢れた、もう嬉しくてしょうがないような日々が続いていくのです。
光輝はお母さんと二人暮らし。お父さんは光輝が生まれる前に事故で亡くなっています。お母さんは、製麺会社で経理を担当しているはずなのに、光輝のアパートには「会社関係」と称する、沢山の知らない大人たちが訪れてきます。何故か、お母さんは、こうした人たちに「先生」と呼ばれています(ややスピリチュアルな気配がします)。やがて、お母さんは、会社を辞めて、新しい商売をすることを光輝に打ち明けます。しかも、新しくはじめるお店の二階に住むために、遠くに引っ越しをしなければならないといいうのです。せっかく人生の転変を迎えた光輝としては、今の学校から離れたくありません。折衷案として、近くに住む、これまであまり知らなかったお祖父さんの家に光輝は居候することになります。お祖父さんは、無口なのですが、ちゃんと光輝を気遣ってくれて、祖父との二人暮らしもまた、なかなか快適であったりします。どうしたわけか、押野もお祖父さんのことを知っていたりして、野球友だちも遊びにくるようになり、今年の夏休みは、光輝にとってそれは楽しい日々となるのです。不気味なことに「お母さんがどんどんおかしい方向につき進んでいる」のですが、お祖父さんの元で暮らしている分には支障はありません。仲の良い友だちがいてくれる楽しさ、たわいもない馬鹿話をしたり、ちょっとした冒険をしたり、そんなことが、光輝の小学生の時間を満たしていくのです。
お母さんの動向があまりにも謎で、ミステリアスな雰囲気に包まれて物語は進行するものの、事件らしい事件は起きないまま、タイトル通りの「しずかな日々」が描かれていく不思議な空気感に満たされた作品です。いつかこの幸福が壊れてしまうのではないかとハラハラしながらも、ずっと読んでいたくなってしまうのは、少年の心が喜びに満たされていく、甘やかな快感が続くからかも知れません。この静かで穏やかな物語は、同時代の摩擦の多い子ども時代を描く作品の中で異彩を放つ存在です。この物語の幸福には新鮮な驚きがあります。僕自身の記憶の中にある少年時代も、結構、ギスギスしていて苦い感じも思い出されるので、こうした少年の素敵な夏休みが羨ましいのかも知れません。小学生の友だち関係の向日的な部分が、好意的に書かれていて、なんだかとても良いんですね。無口なお祖父さんも、ご飯を炊くのがうまかったり、漬物が上手だったり、お祖父さんの古い家の井戸水は冷たく、雨戸は重く、そんなちょっと懐かしい暮らしに光輝が喜びを覚えていくのも良いんですね。本書の回想の中の友人たちの姿は、なんだかちょっと間が抜けているところもあるんだけれど、謎の思い込みを大発見のように真剣に語ってみたり、おバカな想像を繰り広げてみたり、そして、妙に繊細な感受性を発揮してみたり。男の子たちのおおらかさや、こだわりのなさが、とても理想的に描かれている、こういう作品もいいよね、と思える一冊でした。作者の椰月美智子さんは、講談社児童文学新人賞受賞作『十二歳』でデビューしました。十二歳の女の子同士の微妙な関係性を巧みに描ける作家であり、張りつめたような作品も良いのですが、不思議な緊張感を保ちながらも、こんな肩の力が抜けた作品も魅力的に描くことのできる実力派なのです。