つぶやき岩の秘密

出 版 社: 新潮社

著     者: 新田次郎

発 行 年: 1972年01月

つぶやき岩の秘密  紹介と感想>

1972年に刊行された物語で、1973年に当時NHKで夕方に放送されていた少年ドラマシリーズで実写映像化されたことでも知られている作品です。芥川賞作家で山岳小説を得意とする新田次郎さんの少年小説であり、海を舞台にした珍しい物語です。ドラマを僕は見ていないのですが、今回、調べているうちに、このドラマの主題歌を知っていることに驚きました。石川セリさんが歌う『遠い海の記憶』という曲は以前に聴いて凄く印象に残っていて、この物語とここでようやく結びついて、イメージが膨らんでいるところです。小学六年生の少年を主人公にした物語ですが、子ども同士の関わりが描かれることがないのは、主人公が学校生活にあまり重きを置いていないからです。主人公と同年代の登場人物がいないのです。学校では普通に友だちとつきあいながらも、放課後一緒に遊ぶこともない。彼はひとりで散策をし、いつもどこか遠くを見据えているような考え深い少年なのです。それは物心がつく前に海難事故で両親を亡くし、祖父母に育てられた、ちょっと寂しさを抱えた少年であるからかもしれません。そんな彼が不可解な出来事と遭遇し、そこから謎を解明する冒険へと乗り出していく物語です。その背景には、当時はまだ生々しい近過去である戦争によって翻弄された大人たちの姿があります。少年が秘密を紐解こうとする胸踊る冒険は、人間の愚かさや哀しみにアプローチする心の旅です。少年がそうした事件に出会い、思いをめぐらせ大人になっていく季節が描かれます。ちょっとドラマも見てみたくなりますね。

三浦半島の南のはずれに近い西海岸の大塚村で育った紫郎(しろう)は小学六年生。ひとりで考えごとをしていることが好きな孤独癖のある少年です。浜辺を歩いたり、海を泳いだり、学校では友だちとも付き合うけれど、一人で行動することが多い子でした。荒磯は紫郎の遊び場であり、その日も浜の大きな岩を渡り、先に見える鵜の島を眺めながら散策をしていました。紫郎が荒磯の牛ほどもある大きな黒岩からあたりから、海のつぶやきを聞いたのはその時です。その声が紫郎には、二歳の時に海で亡くなった母親がすすり泣いているように思えてくるのです。紫郎が周囲を探っていたところ、岩壁に立つ奇妙な老人を目にします。その男のことを家で話したところ、祖父は、それは金塊亡者だろうと言うのです。かつて、この浜には前の戦争で日本軍が敵国の侵攻に備えて作った地下要塞があって、そこには金塊が蓄えられていたという噂があり、それを盗掘しようとする人間がいたそうなのです。あの老人は幽霊なのではないか。それとも地下要塞の隠し扉を抜けて出てきた人間なのか。紫郎の好奇心は刺激されます。紫郎はこの想いを作文に書き、担任の恵子先生に打ち明けます。どことなく暗い影のある紫郎の危うさを気にかけていた先生は、紫郎がひとりで岩壁を調べる無茶をする前に、大学の山岳部に通う弟を協力させてサポートすることにします。ところが岩壁を下りる際に命綱のザイルが切れるという不穏な出来事があり、調査は停滞します。気持ちが収まらない紫郎は、ひとりで浜の周囲を散策し、手がかりを探すうちに、白髭の老人と知り合い懇意になります。その老人の縁で、塚が崎の中にある地下要塞を案内してくれるという人物に誘われます。何らかの陰謀が渦巻いていることを察知した紫郎は機転を効かせて、危機をすり抜け、この土地に秘められた過去をあばき、事故で死んだと聞かされていた両親の死の謎にも迫っていくことになるのです。

紫郎という少年のひたむきさや考え深さ。その孤独癖は寂しさの裏返しのようでもあり、大人びた横顔の裏に胸に潜めた両親への思慕の念など幼さもまた垣間見えます。つまりは、どうにも魅力的な少年なのです。彼には作中の大人たちも目が離せなくなります。担任の恵子先生しかり、彼が知り合った白髭さんという紳士的な老人も紫郎の気性を気に入ったのか非常に懇意にしてくれるのです。この白髭さんは、この物語の悪の頭目です。それでも紫郎への情愛を抱いているようなのです。かつて戦時下において、地下要塞を作った軍の技師たちは、戦後も自らの正体を隠して、この岬の秘密を守ろうとしていました。金塊を着幅しようとした仲間を粛清し、残った三人は、持ち出すこともできない大量の金塊をただ守ることだけを使命として生きています。それはどうも金塊を自分たちのものにしたいということではないようなのです。紫郎の両親が海で亡くなったのも、この金塊の場所に図らずも近づいてしまったことで、事故に見せかけて殺されていたのです。戦後二十年以上が経っても、ずっと戦争の遺物を守り続けなければならない彼らもまた運命と宿業に翻弄された人々でした。そんな人間の情念や妄執を感じさせる物語です。紫郎は作文に自分が幽霊の真相を確かめなければならない理由を『なぜならば、なぜならば、僕は海の声を聞いたんです』と熱く綴ります。判然としない理由や衝動に人は突き動かされてしまうものです。秘密の蓋を開けると、そこには思わぬ結果が待ち受けており、紫郎も虚しさを覚えることになるのですが、正邪や結果を越えて、人が熱に浮かされながら生きること、それ自体に快感があるような気がします。近年、自分にはどうにも気力がなく、バイタリティが欠乏しているからそんな感想になってしまうのか。やはりリアル少年時代に読んで、その真っ直ぐな瞳で愛でるべき物語なのかも知れませんね。