出 版 社: くもん出版 著 者: 工藤純子 発 行 年: 2020年02月 |
< てのひらに未来 紹介と感想>
現代の子どもの視座から見える「戦争」は自ずと限られています。学校で平和教育は行われているし、学校図書館には多くの戦争と平和を問いかける本が入っているし、テレビのニュースやネットからの情報もあります。情報はあるけれど、問題は、そうした情報に、どう関心がむけられるかです。見えるけれど、見えていない。子どもがリアリティをもって戦争を感じとるには、きっかけが必要です。実は、日常のすぐそばに「戦争」の影は忍び寄ってきています。近年の国内児童文学では現代の子どもたちが戦争と出会う物語が色々な角度から描かれています。過去の戦争遺跡やお年寄りの言葉からアプローチするあたりが常套ですが、本作品では、「Jアラート」(全国瞬時警報システム)が気づきを与えるものとなっているのが新機軸です。まだまだ遠隔地で起きていることではあるとはいえ、国内への「空襲警報」が発信されているという異常事態。その意味を感じとって、不安に苛まれる子どももいるのです。これから起きる戦争を予感すること。静かに忍び寄ってきている戦争を意識すること。町工場の経営者の娘である主人公は、父親がミサイル部品の製作受注を巡り苦悩する様を目にします。人は矜持を持って、自らの責任で「選択」することができます。未来は自分のてのひらに握られている。一方で、世の中の潮流に流されていく恐怖も感じます。また選択する権利が失われてしまうことも。だからこそ自分でつかみとる未来が輝くのかも知れません。戦争にどう意識をむけるべきか。そして、未来をどう作っていくのか。中学生の少女がその生活半径の中で、気持ちを新たにしていく清新な物語です。ほのかな初恋もまた良し。
金属部品の加工をする町工場、佐々川精密工業の娘である中学生の琴葉。ある夜、月のない空にはじけた光の帯を見かけます。それはミサイル、ではなく火球という隕石が大気圏突入の際に発光する現象でした。しかし、それは琴葉の記憶を呼び覚まします。Jアラートの強烈な警戒音。数年前、頻繁にミサイルが日本の排他的経済水域に撃ち込まれた時の恐怖感。まだ遠い場所にある恐怖を俄かに思い起こした琴葉。彼女には身近な生活の危機も迫っていました。工場の経営不振。それは経営者である父親が、武器の注文に応えなかったことが起因していました。ミサイルへの恐怖から、武器を作ることで国を守れるのではないかという考えが琴葉にも浮かびます。武器を作るべきではないという父親の選択を前に、琴葉もその正しさについて思い悩みます。一方で、工場に住み込みで働いている少年、天馬との関わりの中で、自分の父親の仕事への矜持や、過去の戦争で傷ついた気持ちを抱えた人たちが現在を生きていることも知るのです。中学生の手のひらには大きく重すぎるものを琴葉は受け止めて、自分なりに考えていきます。
町工場に住み込みのワケありの男性に恋をする、というと『わたしの、好きな人』が思い浮かぶところですが、あれぐらい年齢が離れてしまうと、その葛藤への共感が難しいこともあり、この物語の天馬少年のように三歳上ぐらいが程良い塩梅かも知れません。同年代の少年が自分のこれまでの生活では考えられないようなことを経験していることを知り、世界観が揺るがされる。その背景に過去の戦争が影響していることなど、思いもよらないものだと思います。実は世界は閉じてはいないし、過去や歴史も地続きであるだけれど、見えるものは少ないし、意識はしないものです。それでも、身をもって体験しなくても、近い人たちに向けるまなざしによって見えてくるものはあるのだと思います。この共感が大切です。恨みや怒りの衝動で、この世界を見誤ることはあるものです。人間は短慮であり、賢明にはなり得ません。それでも考えなければ。未来のためのより良い選択をするためには、まずは選択肢を増やす必要があります。自分で自分の世界を閉ざさないこと。立派過ぎない、等身大の中学生の迷える現在というステータス。この先にある未来のために選択肢を慎重に選ぶ、その進行形を見守る物語です。