ヒトラーと暮らした少年

THE BOY AT THE TOP OF THE MOUNTAIN.

出 版 社: あすなろ書房

著     者: ジョン・ボイン

翻 訳 者: 原田勝

発 行 年: 2018年02月


ヒトラーと暮らした少年  紹介と感想 >
タイトル通り「ヒトラーと暮らした少年」の物語です。後にペーターとドイツ風に呼ばれることになった少年、ピエロ。パリに暮らしていたピエロの運命は、両親を失い、孤児院を経て、叔母の住むドイツに引き取られたことで転変します。叔母のベアトリスクはピエロを引き取ったことを、やがて激しく後悔することになります。ピエロに与えてしまった「環境」が、素直で優しい彼の性格を大きく変えてしまったからです。叔母が家政婦として住み込みで働いていたのは、ナチス総統であるアドルフ・ヒトラーの別宅でした。ベルヒテスガーデンという町。その山の上の家。そこでピエロは、あのヒトラーと暮らす数奇な少年時代を送ることになります。両親と友だちを愛する心優しいフランスの少年ピエロが、ドイツ人としての確固たる矜持を抱いた少年ペーターへと変貌していきます。それは、この家の主人であるヒトラーへの忠誠心によるもの。ゆるがない信念を身につけてしまった少年は、自分の信じる正義によって、ナチスの実像に気づかないまま、この戦争に加担していきます。話題作『縞模様のパジャマの少年』と同じく、ナチス視点の物語であり、少年が純粋であるがゆえに、ダークサイドに堕ちていく様が描かれた鬼気迫る物語です。視点を逆転させて描く、平和と人間性回復の物語。長年に渡るピエロの心の変遷を読み終えた時(今、この時点)、深い溜息とともに語るべきことは、この本の紙は、なんか軽いぞ、だけではないのです。

ピエロのお父さんはドイツ人で、第一次世界大戦に従軍し、瀕死の重傷から生還したものの心を病んでいました。列車に飛び込むという悲惨な死に方をすることになった父親のことを、戦争に殺されたのだと、母親は言いますが、まだ幼いピエロにはその真意がわかりません。ピエロは自分の父親のことをどう考えるのか。その思考が形成されていくプロセスが興味深いところです。ヒトラーは屋敷に住むことになったピエロに親しく接します。厳しくも情感あふれる大いなる父性。特別な信頼を与えられ、ドイツ人としての誇りを涵養された少年が感化され、心酔してしまうのも仕方がないことだったのか。こうして、フランス人の母を持ち、パリで暮らしていた少年ピエロは、ドイツ人ペーターとして、ヒトラーの薫陶を受けながら成長していきます。ヒトラーの側仕えをして軍隊での階級を得ても、実戦を経験したことがない焦燥や、侮られることの悔しさは、より彼を傲慢にさせていきます。やがて戦局がドイツに不利な状況となっていくのは歴史の流れ通りのこと。ヒトラーという支柱を失ったペーターは彷徨しながら、今まで自分が何に加担してきたかを知り、ピエロとしての良心と対峙することになります。来るべきクライマックスをピエロはどう迎えるのか。どうすれば人生の辻褄は合うのか。戦争加害者となってしまった少年の自我を描く、複雑な感慨を抱かされる作品です。

パリで暮らしていた幼い頃のピエロには、アンシェルという親友がいました。離れても手紙のやりとりをしていた二人でしたが、ピエロはベルヒテスガーデンの家で、周囲の大人たちから、彼と付き合うのをやめるよう示唆されます。当初、ピエロはその意図がわからず、隠れてでも親交を続けたいと思っていました。しかし、ペーターとなったピエロには、その典型的なユダヤ人の名前を持つ親友を心の中から消すことに、もはや躊躇はなかったのです。この設定で思い出すのは、手塚治虫さんの大作、『アドルフに告ぐ』です。ヒトラーの人物像が描かれるあたりも近しいのですが、ユダヤ人の少年とナチス高官の息子である少年の間に結ばれた絆が、それぞれの道を進むに連れ変化していくあたりも共通しています。『アドルフに告ぐ』では、かつての親友同士が血で血を洗う凄惨な結末を迎えます。ピエロとアンシェルはどうなったのか。この物語の帰結については、是非、読んで、確かめていただきたいところです。さらに思い出したのは『ヒトラー・ユーゲントの若者たち(愛国心の名のもとに)』 というノンフィクションで、この本と同じ、あすなろ書房の海外Y A 小説ベストセレクションの一冊。第一次大戦後の困窮したドイツで台頭したナチスが国民の支持を得ていく中で、ヒトラー・ユーゲント(ナチス党内の青少年組織)と呼ばれた少年少女たちはどのような役割を果たしたのか。ヒトラー政権下の十二年のマインドコントロールは、どのように子どもたちを洗脳し、人道的に異常とも思える任務をこなさせたのか。この本は1930年代から二次大戦後にいたる彼らに焦点を当て、その心の歴史を明らかにしています。一時期はドイツ国内の青少年の半数以上が加入していたというヒトラー・ユーゲントは、けっして特殊な存在ではなかったようです。規律を守り、礼儀正しく、思いやりがあり、質実剛健で、国の繁栄のために一身に努める。希望にあふれたヒトラー・ユーゲントの若者たちには、背筋の伸びた「美しさ」があったようです。彼らは物語では悪役めいた役回りが多いのですが、こうした実像の方にこそ恐ろしさを感じます。人間は何に魅せられ、時として、狂気に手を貸すことになってしまうのか。純粋であったからこそ、多くの若者は、その心を奪われてしまったのか。ピエロからペーターとなった少年の物語にも、ここに通じるものを感じています。