のっぽのサラ

Sarah,plain and tall

出 版 社: 福武書店

著     者: パトリシア・マクラクラン

翻 訳 者: 金原瑞人

発 行 年: 1987年10月

のっぽのサラ  紹介と感想>

児童文学ファンにとって「のっぽ」といえば、サリーではなくサラでしょう。翻訳刊行されてから30年以上経つ現在(2019年)でも(出版社は変わりましたが)継続して書店流通している代表的児童文学作品です。日本国内ではニューベリー賞受賞作という看板が一般読者にあまり効力はないことを考えると、作品の力で読み継がれているのだとなと実感します。この本を絶やさない出版社の心意気にもまた感じ入るところです。その魅力がどこにあるのかを考えながら自分も四半世紀以上ぶりの再読でした。やはり以前に読んで印象に残っていたのは、牧場一家のお父さんが、新聞広告を出して、新しい奥さんを募集するという突飛な出だしです。数年前に奥さんを亡くしたお父さんは男手一つで二人の子どもの面倒を見てきましたが、ついに思いたって、新しい奥さんをもらうことにしました。新聞で奥さんを募集するなんて現代では驚くような話ですが、似たような事例を聞いたこともあり、ままある話だったのかも知れません。その広告を見て手紙を書き送ってきたのがサラです。「ぶさいくでのっぽ」だと自称するサラですが、その文面からは魅力的な人柄が伝わってきます。サラがやってくるのを期待して待つ子どもたちと同じように、読者もまたこの展開にドキドキしてしまいます。さて、遠くの町からやってくるサラは新しい家族になってくれるのか。ただそれだけのお話がどうにも愛おしく豊かで魅力的なのです。本を開けば、いつでもこの世界に戻っていける。それはなんとも嬉しいことだと思うのです。

アメリカの大草原に暮らして、牧畜を営んでいるアンナの家族のところに、遠くメイン州からサラがやってきます。弟のケイレブが生まれた後、すぐにママが亡くなり、アンナはずっと寂しい思いをしていました。ママがいた頃は歌うこともあったというパパも、今は歌いません。そんな折、パパが新聞広告で、奥さんとして自分たち家族を助けてくれる人の募集を出したのです。それに応えてくれたのがサラでした。どんな人が来てくれるのかとアンナとケイレブは期待は高まっていました。そして、サラがこの場所を気に入ってくれるかどうかも心配でした。やがて春の緑の草原に黄色い帽子をかぶったサラが、飼い猫を連れて、列車から降り立ちます。気立ての良いサラのことを子どもたちは大好きになり、サラにずっとここにいて欲しいと願うようになります。どうかサラがこの場所での生活を好きになってくれますように。海のそばで暮らしていたサラが干し草を「うちの砂浜」と呼んだ時のアンナとケイレブの喜びようなど、ともかくサラにここにいて欲しい子どもたちの気持ちが弾け続ける。瑞々しい表現に彩られた愛おしい物語です。

サラが不慣れな牧草地での生活に驚きながらも次第に馴染んでいく様子を、アンナが愛情を込めて見守っている構図です。メイン州の海の見える場所に暮らしていたサラが、見渡す限り草原しかないこの場所でホームシックになっている様子に胸を痛めたり、町に出かけたサラがこのまま帰ってこないのではないかと心配したりと、ともかくアンナとケイレブの気持ちが活き活きと映し出されている物語です。結婚する当事者のパパとサラは互いにどう思っているのだろうと気になったりしますが、それよりも、新しい家族で幸せに暮らしていきたいという子どもたちの思いが全開で、それ以外の子細は、まあどうでもいいかと思ってしまうのです。ともかく子どもたち二人がサラを恋しく思っていて、いなくなってしまうのではないかと全力で心配する姿が、なんとも健気で。それだけの物語なのだけれど、それこそが大切で、愛おしさが目一杯詰まっています。ヤモメのお父さんと子どもたちと新しいお母さんの出会い、にはバリエーションが沢山あるけれど、このストレートな物語にはやはり素直に動かされます。「家族でいたい」とか「一緒に幸せに暮らしていきたい」という一途な気持ちを子どもが抱くことはあたりまえなのだろうけれど、それは失われたものを取り戻していくプロセスの中で、ようやく再認識されるというのが、いたわしいところです。大切なものを大切にすることの大切さを感じる物語です。