もういちど家族になる日まで

Love ,Aubey.

出 版 社: 徳間書店

著      者: スザンヌ・ラフルーア

翻 訳 者: 永瀬比奈

発 行 年: 2011年12月


<   もういちど家族になる日まで   紹介と感想>
オーブリーのママが何も言わずに失踪したのは、この家で暮らしていることに耐えられなくなったからです。だからといって、わずか11歳の、娘のオーブリーを、たった一人残して、家を出ていってしまうというのは、さすがにどうかしています。ママがそんなどうかしている状態になったことには理由があります。数か月前、オーブリーは家族と一緒に乗っていた車で交通事故に巻き込まれました。スリップしたトラックに追突されて、車はつぶれ、パパとオーブリーの妹は亡くなり、オーブリーも額に怪我を負いました。車を運転していたママは無事だったものの、喪失感と自責の念にさいなまれるようになったのです。次第にどうかしていくママは、家族と暮らしていたこの家から出ていかざるを得ない精神状態に追い込まれていました。ママが失踪してから一週間後、家に残されたオーブリーを救い出したのは、ママのお母さんあるおばちゃんです。オーブリーはバージニア州にある自分の家から、1,000キロ以上離れた、おばあちゃんの住むバーモント州に引き取られます。牛のにおいのするこの田舎町で、オーブリーは親しい友人を得て、学校にも通い、普通の毎日を送れるようになります。やがて、行方不明だったママの消息もわかり、連絡もとれるようになりました。でも、心を痛めているママとふたたび一緒に暮らせるようになるには、まだ少し時間がかかりそうです。オーブリーは、もういちど家族になれる日を思い描きながら、この町で生きていくのです。

さらっとストーリーをまとめてみましたが、この物語、さらっと読めるような話ではありません。実際、読むのが、ものすごくしんどかったです。出来が悪いのではなく、メンタル的にキツイという意味です。物語はオーブリーが、なんとなく楽しげに一人暮らしをエンジョイしているところからはじまります。気楽を装っている彼女の主観で語られていく物語は、核心についてなかなか触れようとしません。いったい何が起きて、今、こんな状態になっているのか。それについて、彼女自身が目をそらしているために、語られません。亡くなった妹が作り出した空想の友だちに語りかけることはできても、自分の痛みを言葉にして、誰かにちゃんと伝えることはできない。心のバランスが崩れている。だから、新しくできた友だちともギクシャクしてしまったり、おばあさんともうまくいかなくなったりします。やりきれない気持ちをもてあまして、他の人の無理解に「何もわかってないくせに」と悔しげにオーブリーはつぶやきますが、実は、誰にも自分の心のうちをわかるように説明したことはないのです。事故でパパと妹を失った悲しみ。ママが自分を置いて、どこかに行ってしまった悲しみ。これが心の中に封印された状態にあることを、読者は気づいています。それなのに、オーブリーは目をそらしている。それがとても、いたわしいのです。涙を流している姿よりも、涙をこらえている姿にこそ、涙は誘われます。それでも周囲は優しくオーブリーを気づかい、その姿を温かく見守っていきます。オーブリーは時間をかけて少しずつ、閉じた心を開き、自分の中の悲しみを認め、お母さんの中の悲しみにも近づいていきます。この町の穏やかな環境が彼女にはあり、回復を焦る必要はどこにもありません。それでも、彼女は自分に起きたことを「なかったこと」にすることはできないのです。受け入れて、はじめて、次のステージに進める。そのプロセスを、じっくりと読ませてくれる作品です。子どもに注がれる容量オーバーな悲しみには、戸惑ってしまいますね。かなり、しんどい読書にはなるかと思いますが、この痛みを是非、感じとってもらいたいのです。

子どもの精神的ケアについて、昨今は随分と環境が整ってきたように思います。スクールカウンセリングについて調べたことがあって、学校での取り組みなど、随分と進んでいる印象を受けました。児童文学の中でも、心に傷を負った子どもに対してはきちんとケアが施される様子が見られるので(学校にカウンセラーがいるのがあたり前だったり)、時代は進歩してきたなと嬉しく思っています。僕が子どもの頃は、まだ野放図な時代で、メンタルケアなんておかまいなしの荒野でした。僕もまた、今だったら、カウンセラーのお世話になっていただろう状況下にいたのですが、まあ、当時はただ、大人たちから憐れまれるだけで、余計に悲しくなったり、みじめになったりして、おかしな心の迷走をつづけていたことを記憶しています。オーブリーを見ていると、気持ちがシンクロするところが多くて参りました。子どもはたいてい黙っています。うまく事情を説明することも、気持ちを訴えることもできません。そして、バランスを崩しているのに、自分では気づきもしません。何もできないけれど、それでも前を向いて歩いていこうとする。そんな健気な子どもの姿は、見ていて、本当に困ってしまいます。いったい誰が読みたがるんだ、こんな話。なんて、つい、そんなふうに怒ってしまいたくなるのですよ。だから、是非、読んでください。

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