残された天使たち

Running home.

出 版 社: 求龍堂 

著     者: テレサ・ドラン

翻 訳 者: 杉田七重

発 行 年: 2006年02月


残された天使たち  紹介と感想 >
「お姉ちゃん」だって泣きたいときもある。泣きじゃくる小さな妹の背中におなかをあてて、頭をなでながら、よしよしと慰めながらも、本当は自分だって泣いてしまいたい。でも、ぐっとこらえる。目のふちに涙がもりあがってきても、こぼしてはならない。負けるもんか。お姉ちゃんだって、まだ子どもなんだから、泣いてもいいんだよと、この本の読者はそう思いながら、ハラハラとこの姉妹の逃避行を見守っていたはずです。がんばれ、お姉ちゃん、あと少しでおばあちゃんの家につくよ。イギリスの南端、コーンウェルから、アイルランドの西端、ニューキーまで、二人の旅は続きます。襲いかかるピンチの連続を乗り越えて、果たして二人は、安心できる「家」に帰りつくことができるのでしょうか。本当はドキドキしながら、自分だって恐いのに、しっかりと幼い妹の手をひいて、気丈にふるまうお姉ちゃん。そして、自分たちをとりまく危機的状況をひしひしと感じながら、一心にお姉ちゃんを頼りにする妹は、時に大胆に、お姉ちゃんもあっと言わせる活躍を見せたりしながら、この心の潰れるような旅を乗り切っていきます。けっして明るい内容のお話ではないはずなのに、不思議と気持ちが暖かくなるのは、互いを慈しむ姉妹の友愛が胸に灯るからでしょう。是非、この姉妹と一緒に、長い旅に出てみてください。

残された天使たちが「残された」事情。あまりにも衝撃的な事件で、突然、両親を失ったケイトとエフィ。十二歳と六歳のこの姉妹が遭遇した悲劇は、しかしながら、それで終りではなく、冒険のはじまりでもありました。もし両親が死んだことが発覚してしまったら「施設」に入れられてしまう。ケイトがそう思うのも無理はなく、以前にも、暴れる父さんから避難するために、あのイヤな場所に入れられたことがあるのです。ましてや離れ離れにされてしまったら。それだけは絶対にいやだ。この姉妹をとりまく環境は、けっして幸福に満ちあふれているわけではありません。不況下の陰鬱な世の中で、大人たちもまた、心を荒ませているのです。以前は幸福だったケイトとエフィの家族にも、だんだんと不協和音が忍び寄っていました。コーンウェルのコテージに遊びにきたこの休日も、社会に敗れてしまった両親と、遊びたいさかりの子どもたちとでは、抱いていた思いは、あまりにもかけ離れていたことでしょう。そして起こった惨劇。突然、暗い穴の中に突き落とされた二人は、そこから知恵を絞って、明るい場所に逃げ出そうとします。祖父母のいるニューキーに行けば、きっと自分たちを歓迎してくれるはず。でも、それにはイングランドの端からアイルランドの端まで、イギリスを横断する、長い旅が待ち受けているのです。子どもたちだけでは、電車の切符も売ってもらえない。じゃあどうする?。大切なバックとぬいぐるみを、しっかりと握りしめて、二人の旅は始まります。利己的で非情な大人たちの世界をかいくぐり、時に危機的状況に陥りながらも、からくも切り抜け、また、ゆきずりの少年たちの淡い友情にも助けられます。新聞には二人の顔写真が載り、警察からも手配されながら、なんとか「保護」されずに、二人はニューキーに行き着くことができるのか。それは、読んでのお楽しみ、というところで。

十二歳と六歳、この倍の年齢差がケイトに「姉の自覚」を促します。僕は次男で末っ子で、この年になっても、いまだに次男で末っ子ですが、ケイトは六歳の頃からお姉さんをやっているのです。彼女たちを取り巻く世界は、牧歌的なものではなく、あくまでもリアル。大人たちも、必死で今日を生き抜いています。よるべない幼い子どもたちが、世間の情を頼れるはずもない世界。ケイトは姉として、妹を励まし、慰め、そして叱り、危険を回避しながら、しっかりとその身の安全を守っていきます。その姿の頼もしさ。発行元の担当編集者さんが『新刊展望』(取次の広報誌)で、この作品を魅力たっぷりな文章で紹介されていました(この本が刊行された当時にこの文章は書いています)。それは、思わず読みたいと思わせるほど。「となりのトトロ」の五月とメイの姉妹のようなとその紹介文にありましたが、実に言い得て妙なケイトとエフィの関係。二人のキャラクターとオーバーラップして楽しめました(五月もメイの見ている前ではぐっと涙をこらえていましたね)。トトロのような優しい世界ではない、厳しい世の中を渡っていく幼い姉妹の姿に、エールを贈りたいと思う作品です。

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