出 版 社: 偕成社 著 者: 今村葦子 発 行 年: 1994年06月 |
< ゆりかご通信 紹介と感想>
文通相手が車椅子ユーザーであるという事実に主人公が直面することになる物語です。多くの物語がこのパターンを踏襲していますが、その事実を知った健常者である主人公がどう感じ、どうふるまうかが、それぞれの物語が読ませてくれるところです。これを書いている最近(2024年)の作品だと『ひと箱本屋とひみつの友だち』という物語がありました。手紙ではそんな事情を感じさせない相手が、実は自由に歩くことができない身体であるという事実に、主人公はどうしたら良いのかと戸惑うのです。選択肢としては、そんなことは友情関係に影響しない、一択です。そしてそこから車椅子ユーザーであることで強いられている世の中のバリアを主人公も一緒に体感することで、障がいに対する考え方などが研ぎ澄まされていくというのが常套です。となると、ややその要素が勝ちすぎてしまい、主要テーマにさえなってしまいがちです。本書はそうした問題よりも、物語的な別の魅力が勝ちます。文章を読むことの楽しさに耽溺できる、なんとも愛おしい作品なのです。少女文体による手紙文だけで構成された書簡体物語。文通を双方の手紙から描くのではなく、主人公側の手紙だけで見せていくあたりもまた、募る思いの丈に気持ちを揺さぶられるところがあります。これもまた名手、今村葦子さんの魅力を満喫できる一冊です。
誰かに「ながいながいお手紙」を書きたくてペンフレンド募集のコーナーに応募した咲子に手紙をくれたのは、同じ小学五年生の理沙でした。咲子は嬉しくて舞い上がります。その勢いで咲子が書き連ねるのは、実に他愛のない話ばかり。田舎暮らしで、姉と兄、弟がいる賑やかな家族が構成の咲子が、都会のマンションで孤独を感じているという理沙の気持ちに寄り添って、その境遇を想像しては、「こどく」とは何かと考えてみたり、自分のローカルな生活を理沙に紹介したり、ユニークな家族との会話をのせてみたり。手紙をもらっては、はしゃぎまわり、調子に乗って余計なことまで書きすぎて反省したりと、咲子のハイテンションはずっと続きます。そんな咲子ですから、都会から理沙が自分の村に遊びにきたいと言われた時にはどんなに喜び勇んだか。しかし、理沙がこちらにくることに先んじて送ってきた写真を見て、咲子は驚きます。理沙の足が不自由で、車椅子で生活をしていることを知ってしまったのです。咲子は自分の今までの手紙を振り返り、短慮だったことを反省しつつ、遊びにくる理沙をサポートすることを誓います。そしてこの物語の最後の手紙では、飛行機でやってくる理沙を迎える咲子の胸の高鳴りが綴られていくのです。
ともかくも文章のドライブ感の素敵なこと。ハイテンションで手紙を書き続ける咲子の書簡のみで物語は進んでいきます。田舎の少女である咲子の、都会の少女、理沙への憧れ。ただ、ラッシュアワーの電車に乗って塾へ通うという理沙のエピソードも、車椅子である、ということを前提にすると、その困難さが違ってくるのです。理沙の孤独もまた、彼女の境遇から生じていたものかもしれないと思えば、その重さが違ってくるのです。そして、咲子は慌てふためき、自分の後悔を手紙に綴っていくのです。悪意のカケラもなく、素直で、善良な咲子。昭和少女小説スタイルやどこか太宰治の少女書簡文体を思い出すところがありました。少女同士の友愛の理想がここに輝いています。そして、表紙と挿絵を描く牧野鈴子さんの情感溢れる絵がまた良いのです。まだ見ぬ文通相手への憧憬の念を抱く少女の心象という、あえかな想いを繋ぎ止める物語が彩られています。