みつばちと少年

出 版 社: 講談社

著     者: 村上しいこ

発 行 年: 2021年04月

みつばちと少年  紹介と感想>

気遣いや配慮のない公的発言が槍玉にあげられる昨今(2021年)です。社会が成熟して、個人の偏見に厳しくなり、正しく非難されるようになったわけですが、一方で、なんらかの障がいによって、そうした配慮が行えない人がいることも認知されてきています(槍玉にあげられているのは、無論、ただの傲慢な人たちですが、「普通」と「障がい」の境界線は曖昧です)。かつてアスペルガー症候群という診断名であった、発達障がい、自閉症スペクトラムの典型的症例として、人の感情が理解できず、「空気が読めない」ために平然と無遠慮な発言をしてしまう行為があげられます。無論、人を怒らせがちだし、周囲からはトラブルメーカーとして忌避されてしまうわけで当人としても辛いはずです。以前に比べれば、この障がいへの認知もあり、周囲も鷹揚になってきているのではないと思いますが、一方で、迂闊なことを口にする人が社会的に受ける制裁も厳しくなってきている昨今ですので、生きづらさは変わらないのではないかと思います。この物語の主人公の少年は、思ったことを無遠慮に口にしてしまい、人を怒らせがちで、逆に人の言葉や態度に傷つけられると、感情がコントロールできず、激しい怒りからイスを投げつけるなどの暴挙に及んでしまう極端な子です。学校では人とコミュニケーションがうまくとれないし、危険人物視されて友だちもいません。おそらくは発達障がいであると考えられる彼ですが、改善のための治療を受けるどころか、検査をすることさえ勇気が持てていない現状です。自ずと世の中とうまくやれない自分を諦めがちで、失意に沈むようになります。そんな少年の転機が描かれる物語です。結果的に幸福な結末が訪れますが、その人生はおそらく多難です。そんなことはわかっているのです。それでも「希望」こそが描かれるべき主題なのです。

三重県松坂市に住む中学一年生の少年、雅也は夏休みに北海道で養蜂業を営む叔父さんの元にしばらく滞在することになりました。発達障害であると思われている雅也を一人で北海道に行かせることに父親は反対していましたが、ここにくることは雅也の昔からの夢だったのです。飛行機は怖いので使わず、新幹線で九時間もかけて新函館に着いた雅也に告げられたのは、予定が変わって養蜂場に寝泊まりできないという話でした。近隣にある「北の太陽」という施設に部屋を借りて、養蜂場に通い、みつばちの世話をすることになったのですが、この「北の太陽」は、身寄りがなかったり、親と暮らせない子どもたちが住む施設だったのです。驚いたことに、そこの運営をしている志保子さんという年配の女性は、雅也が新幹線で隣に座って会話を交わした人でした。志保子さんに新幹線で失礼なことを言ってしまった自覚がある雅也は戸惑います。いつも人と親しくしたいと思いながら、余計なことを口走り、人を怒らせてしまう雅也は、その自覚がありながらも自分をコントロールできず、自分に失意を覚えていました。「北の太陽」のそれぞれワケありの子どもたちとも当初は距離があり、打ち解けることを難しく感じます。人を不快にさせてしまう自分を持て余し、諦めている雅也を、志保子さんは諭します。人と心を通じ合わせる。そんな希望は雅也にとって絵空事ではないのか。とはいえ、「北の太陽」の子どもたちとの交流や、みつばちの飼育手伝いを通じて、雅也の心に変化が兆していきます。クライマックスは、雅也が「北の太陽」の子どもたちと一緒に力を合わせ挑む、地元の名物である「イカめし」の料理コンテストです。なんとしても優勝して賞金が欲しい子どもたちは、「普通」に美味しいだけではなく、「普通」を越えていくことを目指します。それぞれ事情のある子どもたちや、ちょっと「変わったところ」のある大人たちとの関係の中から、「普通」になれない自分を見つめる雅也が「希望」を抱けるようになるまで。「もう希望しかないね!」が子どもたちの合言葉になっていくプロセスや、『みつばちマーヤの冒険』が雅也に深く読みこまれ物語のキーとなっていくあたりなど、読みどころに溢れた考えさせられる物語です。

「北の太陽」を運営している志保子さんや、その娘の栄さんの「物の言い方」が非常に気になります。子どもたち相手とはいえ、かなりズバリと言うべきを言うのです。この時勢で、自分もまた、人に配慮するあまり沈黙してしまいがちなのですが、その是非も改めて考えさせられました。配慮は必要ですが、遠慮はいらないものなのか。いえ信頼をベースにしたものが人間関係ですから、その感度を読み違えると拗れたり、滑るのでしょう。とはいえ、臆病になってもいけないものですね。さて、自分が望んで入った学校や職場であっても、周囲と反りが合わなかったり、まったくもって意地悪な人しかいない、という巡り合わせはあります。そこで上手くやっていくこと、は至難の技です。どんな場所でも良好な関係を築けるというのが人間としてのコミュニケーションスキルなのかも知れませんが、やたらとハードルの高い場所もあるものです。それを飛び越えられるかどうかは個人差ですが、自分の持っている資質は変え難いですね。ましてや障がいがあれば、より難しいものがあるでしょう。上手くやれない自分に失意を覚え、自虐的になりがちですが、自分が理解される環境を積極的に見つけだすことも、選択肢のひとつなのだなと思いました。要は合わない場所で、合わせられない自分に傷ついているよりは、合う場所を見つけに行った方が良いわけです。そのためには自分の資質と正面から向き合って、無理のない環境を探すことが肝要なのでしょう。この物語で雅也は、ついに検査を受けることを決意しますが、これはやはり勇気がいることですね。そういえば「イカめし」といえば、ある名店のマネージャーがTVインタビューに応えていた面白いものがありました。全国のデパートの物産展などに「イカめし」を出展する際に苦心する点を聞かれたマネージャーは、品質や設備などではなく「パートさんたちの人間関係を調整すること」をあげていました。反りが合わない人をあらかじめ組ませないようにするそうです。実は世の中にはこうした「見えざる手」によって配慮され、円滑に回っている人間関係もあるのかと思いました。自助努力も大切ですが、配慮の効いた良い上司のいる職場に入れるという人生のラッキーもあるので、希望を捨ててはならないと思います。