出 版 社: 鈴木出版 著 者: シャロン・M・ドレイパー 翻 訳 者: 横山和江 発 行 年: 2023年07月 |
< わたしの心のきらめき 紹介と感想>
サマーキャンプ。海外の児童文学を読んでいると、よく登場するこの夏の催しは、移動教室や林間学校のような学校行事というわけではなく、参加もまた自由選択ながら、子どもたちに特別な体験をもたらす夏の風物詩のようです。色々な地域から子どもたちが集まり、キャンプをし、時に学び、アクティビティを楽しむ。もっとも、YA作品の主人公である、ちょっと周囲とズレていて、社交性に欠けるタイプの少年少女にとっては鬼門であり、たいてい厄介なことになるというのがパターンです。過酷なイジメが伝統になった恐ろしいキャンプが描かれる『ヤギゲーム』(ブロック・コール)ほどではないにしても、まあ、ソリが合わない横暴な子どもたちに疎外されたり、トラブルに巻きこまれることは往々にしてあります。できれば参加したくないのに、親に無理矢理に申し込まれて仕方なく行くというあたりが、YA作品のサマーキャンプの温度感でしょうか。とはいえ、行けば行ったで、少なからず、主人公の人生に影響を与えてくれるのがサマーキャンプというものです。そうした意味では、本書は異色のサマーキャンプものです。何故なら、このキャンプは手放しに楽しい体験を主人公にもたらしてくれるからです。そんな物語はありなのか。サマーキャンプが楽しいという、あたり前から、物語はどう展開するのか。ここでポイントとなるのは、もうすぐ十三歳になる主人公の少女、メロディが、あたり前の存在ではないことです。脳性マヒで身体を満足に動かせず、言葉を喋ることもできない。車椅子で移動し、介助してもらわなければ食事もできない重度の障がいがあります。けれど、メロディには明晰な知性と抜群の記憶力、なによりも好奇心がありました。音声会話アプリケーション(エルヴァイラ)を使って、キーボードで入力することで人と言葉を交わすことができるメロディは、通常の学校に通い、その豊かな感受性を発揮して学校生活を送っていました。そんな彼女が、この夏、挑戦することになったのがサマーキャンプヘの参加です。名作『わたしの心のなか』から十年を経て刊行された一年後の物語。待望の続編です。
メロディの心の声は、今は誰の耳にも届くようになっています。彼女が知性に溢れた少女であることは、その外見からは気づかれることはありませんでした。でも今は、会話補助装置のおかげで、機械合成された音声によって、彼女は会話することができるようになったのです。通常の学校に通い、普通の子のように学校生活を送る。それは楽しいだけのものではありませんでした。それでも確実に、人生を生きることをメロディは実践しはじめていたのです。そして、この夏休み、彼女には挑戦したいことがありました。それはサマーキャンプに参加することです。通常学級の友だちがキャンプに参加するという話を横で聞きながら、彼女もまた、自分にもできるのではないかと気持ちを募らせていたのです。自分のような子が参加できるキャンプがあるのか。まずはそこからです。ついにグリーン・グレイド・キャンプを見つけたメロディは、初めて一人で親元を離れて時間を過ごすことになります。そこには怖れと不安と、興奮がありました。キャンプでは、ボランティアとして参加しているキャンプカウンセラーの若い女性、トリニティがメロディをサポートしてくれることになります。十一歳から十四歳の障がいのある子たちが参加するキャンプには、色々な子たちが集まっていました。それぞれカウンセラーとバディになって、このキャンプで新しい体験をするのです。行き届いたサポートの下、水泳やモダンアート、キャンプファイアー、乗馬にもチャレンジすることになります。このキャンプで、メロディは自分と同じように会話補助装置を使っている子とも出会います。キャンプの外では人の無遠慮な視線に晒されているのに、ここではそれを意識することはない。他の子のカッコいい車椅子に注目したり、親しく接してくれる男子、ノアにドキドキしたり、同じグループの子たちとカウンセラーが過保護すぎることに愚痴を言ってみたり。初めて仲間を得たような気持ちをメロディは味わいます。もちろん、ちょっとしたトラブルは起きますが、そう悪いことにはなりません。ともかく、興奮の連続で、飛び跳ねるような気持ちを抑えきれないメロディの心のきらめきが文章からほとばしっています。なによりも、初めてできた友だちと、ゆっくりと話ができたこと。そこでは、障がいがあることの辛さが語られるわけではありません。はっきりと言葉にしなくても共感があるのです。みんなが物語るエピソードにメロディは聞き入り、自分の物語もまた聞かせたいと思います。メロディはいつの間にか忘れえない友だちを得ていたのです。やがて、わくわくし続けたキャンプにも終わりの日がきます。最後のキャンプファイアーで、メロディは車椅子でダンスを踊ります。一生の思い出に残るサマーキャンプ。その誇らしくも輝ける日々がここに綴られています。
前作の幸福な後日譚です。物語が終わった後にも、あの世界線を生きている主人公が、どのような暮らしをしているのかは気になるものです。前作でメロディに親愛の気持ちを抱いた読者にとって、彼女のその後は気にかかっていたところでしょう。そんな想いをずっと抱いていた人に、ご褒美のような一冊が与えられたのだと思います。その障がいにも関わらず、彼女が普通の人以上の知力や感性を持っているということが、学校生活においてメリットになるかというと、必ずしもそうではないという皮肉が前作では効きすぎていました。普通の子として学校生活を送るには、普通の子のような痛みも引き受けなければならないものの、やはりメロディは普通の子ではないのです。親切にしてくれる人はいたとしても、同じ気持ちをわかち合える仲間はいない。メロディは自分には友だちがいないと自認していました。そうした少女を、物語の中に置き去りにせず、彼女が希望の未来を叶える姿を見せてくれるのが本書です。実は、読みながらずっとメロディが何か苦い思いをするのではないかと心配していました。上手くいきすぎて不安になったのです。しかしそれは杞憂でした。小さな葛藤はあるものの、一緒に乗り越える仲間がいることが、より彼女を勇気づけてくれます。障がいによって、不自由な身体に閉じこめられているけれど、自由な魂を持っている少女。彼女は、これからどんなティーンになるのか。やはり多難な未来を想像してしまうところですが、そのバイタリティで乗り越えていけるだろうと確信を持ちます。彼女の数年後の未来もまた覗いてみたくなりますね。脳性マヒのある女性が自身の半生を綴った『神への告発』(箙田鶴子)という作品を読んだのは学生の頃だったかと思います。周囲の無理解と悪い巡り合わせによって、不幸が続く状況に、暗澹たる気持ちを抱いた記憶があります。彼女が過ごした昭和中葉は障がい者に対する理解が少なかった時代です。そこからの未来である現在、世界はどう変わったのか。障がい者をサポートするテクノロジーの進歩もあるのですが、理解が進む、という進化が変えていく未来もあるのだと認識をあらたにしています。