父さんの納屋

The barn.

出 版 社: 偕成社

著     者: アヴィ

翻 訳 者: 谷口由美子

発 行 年: 1997年11月

父さんの納屋  紹介と感想>

介護に自分の人生の全てを費やすということは、なかなかできることではないと思います。家族の介護をすることになったとしても、自分なりになすべきことや、やりたいこともある。となると、介護と自分の社会生活の両立を意識することになりますが、まあハードなことです。今、自分はそうした立場にありませんが、仕事のシフトを調節しながら、介護と社会生活を両立させている方を見知っており、また、介護を理由に会社を退職された方たちがいたことも覚えがあります。振り返って、親の介護に際しては、自分は大したことができなかったという思いがあります。どこまでやれたら満足したのだろうか、と考えるのもおかしな話です。介護は自分が満足するためのものではないからです。とはいえ、ここには様々な感情がせめぎあいます。介護とは、自己満足するべきものではないものの、それでも心の隙間に忍び寄るものがあります。自分の力不足に罪悪感を覚えるのも人間疎外ですが、ベストを尽したという感慨を得ていいものなのかも考えます。この物語では、全力で親を介護する熱意に満ちた子どもたちが描かれます。彼らは、倒れた父親を世話し、一所懸命に尽くし、その夢を叶えることで、生気を取り戻させることができるのではないかと考えます。一方で、それが自己満足に過ぎないということも同時に感じとっているのです。でも、やるのです。介護を突き詰めた先に見えてくるもの。いや、ここまでやれたら、自分も満足できたろうか、などと考えてしまったあたりから鑑賞もブレ始めていますが、正解を見極めるのがやはり難しいテーマかと思います。

1885年の春。オレゴン州の開拓農家の次男ながら優秀な少年である九歳のベン(ベンジャミン)は、親元を離れて、寄宿学校で暮らしていました。将来を嘱望される頭の良い少年です。そんなベンは、父親が畑仕事の最中に倒れたという知らせを受けて、一切をなげうって帰郷します。おそらくは脳卒中か脳梗塞です。母親はおらず、長女である姉のネティは十五歳、大きくてがっちりとした兄のハリソンでさえ、まだ十三歳の少年です。そんな年端のいかない姉弟たちがこの状況を受け止めなければなりません。父親は一命をとりとめたものの、意識は混濁し、言葉を話すどころか、食事も排泄も一人ではままならない状態となりました。病におかされ、目をそむけたくなるような、うす汚れた父親と再会したベンは、自分のことを認識してもらえないことに失意を抱きます。それでも将来に暗澹たる思いを抱く姉兄を前に、ベンは「父さんはよくなるかもしれない」とあえて口に出します。誰もそう言わないからです。しかし、食事を与えようにも、口にものを突っ込むことしかできない情けなさや、「下の世話」の過酷さにもベンは挫けそうになります。ただ、父親が食事をし、排泄することこそが、生きている命の証なのだと、父親をこの世界につなぎとめることを意識してベンは介護を実践していくのです。わずかな反応に一喜一憂しながら、なんとか父親の意思を感じ取りたいベンは、父親が元気だった頃に願っていたという「納屋を建てる」ことに望みを託します。納屋ができれば、父親はきっと生気をとりもどす。家業を続け生計を支えてくれる姉と兄を説得し、ベンはその知力を活かして、納屋を建てる計画を進めていきます。

納屋ができることと父親の回復には、なんら医療的な因果関係はありません。かつて父親は、納屋ができれば、ベンが帰ってくる楽しみになるだろうと言っていたといいます。優秀な少年であるベンのためを思い、家族はあえて帰ってこいと促すことはありませんでした。そのことはベンの気持ちを寂しくさせるものでした。ベンにとって父親が自分を思いやってくれる気持ちの象徴が納屋だったのです。ベンは全霊を傾けて、父親の介護をし、納屋の製作を行います。ここには、家族からも特別扱いされていた自分の置き場のなさを昇華させるようなスパークがあります。もちろん、リアリティのある物語は都合の良い展開を迎えることはありません。父親は回復の兆しも、はっきりした意志も示さないまま亡くなります。その死を姉兄弟はどう受け止めたのかが焦点です。介護は結果ありきではなく、そのプロセスに意味があると考えるのは諦観であり、ニヒリズムが過ぎる気もします。介護の果てに遺されたものについて、またその愛情の発露について、九歳の少年もまた自意識との葛藤をする大人びた物語です。随分前に読んだ本ですが、今回、再読したのは、現在(2023年)のヤングケアラーブームを意識してのことです。新しくも古い問題であることは、こうした作品を見れば明らかですが、生活の困難さだけではなく、自意識がせめぎ合う葛藤が生じるあたりに興味を惹かれます。介護という行動自体と、介護をする自分という存在認識、そのあたりが浮遊するヤングケアラー空間を体感できる一冊です。いやヤングのみならずオールドケアラーも大変だと思うのですよ、気力、体力がない分。現実問題として、介護する側もまた疲弊せず、活き活きと生きられることを祈念します。