わたしの苦手なあの子

出 版 社: ポプラ社

著     者: 朝比奈蓉子

発 行 年: 2017年08月

わたしの苦手なあの子   紹介と感想>

苦手な人を克服しよう、なんてことを自分はもはや考えもしません。自分にとって嫌な人とは付き合いたくもないし、避け続けられるなら、生涯、関わらないでいたいと思います。大人になっても煩わしい人間関係から離れることは難しいものですが、小学生の頃よりは多少は自由がききます。いやいや、そんな姿勢ではいけない、などと克己心を発揮するかどうかで人間としての資質が問われそうですが、無理しなくていいんじゃないの、が自分のこのところの正直な気持ちです。さて、ここで児童文学の本質を考えるところなのです。正しさや道理に疎外されるべきではなく、良識を蹴っ飛ばしてもかまわない、というのが子どもたちのサイドに立った考え方なのだろうと思います。道徳至上主義や教化主義には陥らない児童文学の本質はそこにあるのではないかと。嫌なことからは逃げてもいい。その姿勢を肯定しつつ、他の可能性への気づきを与えるあたりが程よい落とし所かと思います。逃げない方が最終的に心の健康のためになるケースもあります。さて、本書の主人公の一人は、苦手なものを克服するという課題に、同じクラスの転校生の名前をあげます。この克己心の動機がどこにあるのかが気になるところです。まあ、いがみ合うよりは仲良くした方が快く暮らせるものです。偏屈な相手にどうアプローチするには工夫もノウハウも必要です。思い切りや忍耐も必要です。そこまでして何故、というのは、考えさせられるところです。学校図書館での小学生人気の高い、朝比奈蓉子さんの物語です。

苦手な転校生。クラスに転校してきた本間リサのことをミヒロはそう感じていました。ツンとしていて無愛想。無表情でほとんどしゃべらない。クラスの誰とも親しくしようとしない態度。要は、カンジが悪いのです。社交的なタイプではないミヒロは、無論、積極的に話しかけることもできません。放課後、授業で忘れてしまったゴーグルをとりに一人でプールに向かったミヒロは、ゴーグルを拾ってくれたリサと顔を合わせます。その礼にミヒロは、リサが放課後のプールで密かに泳くための見張を請け負います。普段は心臓が悪いことを理由に水泳の授業を見学しているリサが、何故、泳ごうとするのか。ミヒロは水着になったリサの右足の膝から下に、大きな火傷の痕らしきものがあり、変色していることを見てしまいます。水泳が好きなのに、この傷を隠すために水泳を見学していることにミヒロは思い至ります。リサにはリサの事情がありました。自分の不注意から大きな火傷を負い、そのことで両親は不仲になり、その傷跡が気持ち悪いと学校でもいじめられる。転校先のミヒロの学校でも心を閉じて、誰とも親しくしようとしないのはそうした事情によるものでした。一方でミヒロは事情もわからないまま、それでもリサのことが気になりはじめています。六年生の夏休みを迎えるにあたって、先生から出された課題は、苦手なものを、一つ克服する、というものでした。ミヒロは、ここで「本間リサさん」を克服すると宣言します。小学校生活最後の夏休み、二人が心を近づけていく、輝ける時間が描き出されます。

本書で注目したいのは、ダークサイドにいる女子たちです。執拗にリサに嫌がらせをする、前の学校の「いじめる側の立場」の子たちです。ここで彼女たちは、記号としての「意地悪な同級生たち」であり、ろくに人格も与えられていません。このため、リサからは、その関係を克服しようなどという発想は出てきません。あらかじめ人として見限られている存在なのです。こうした舞台の背景画のような子どもたちは、一体、何を考えているのかといえば、現実的には、悪気はない、か、確信犯なのだろうと思います。彼女たちの、イジメっ子としての葛藤や自意識などに頓着しはじめると、物語が複雑になります。よって、この種の人間とは関わらず、切って捨てても良い、という結論になります。勇気をもって毅然と立ち向かうべき相手ですが、その対話は、わかりあおうということでなく、絶縁宣言なのです。求められるのは、絶縁する勇気をもとうということです。もとよりリサは自分に克つことを課題にするような子でもあったので、ややミヒロとはタイプが違う志向性でもありました.。ここで出てくる命題は、どこまで人には歩み寄り、どこから見限るか、という選択の重要性です。あるいは、どんな人に歩み寄るべきかです。ろくでもない人と付き合って人生をすり減らすべきではないので、結局のところ、その目利きが重要なのかも知ません。克服すべき人との関係性もあれば、見限るべき人たちもいる。そんな真理がここにあります。そこには、自分の意志を強く保つことの重要性も語られます。自分もまた見限られる側にはならないように、行動や言動を顧みるべきところかなと思います。フラットに考えると(悪役もまた人間だと思えば)、シビアな見極めですよね。