アリブランディを探して

Looking for Alibrandi.

出 版 社: 岩波書店

著   者: メリーナ・マーケッタ

翻 訳 者: 神戸万知

発 行 年: 2013年01月


<  アリブランディを探して   紹介と感想>
ジョセフィン・アリブランディは17歳。エリート校である聖マルタ学園の最上級生で、今年は大学入学統一試験を受験しようとしています。これからの人生がかかっている大切な年。良い大学に入学して、良い仕事につけば、そのキャリアに応じた文化的で豊かな生活が約束される。教養のある人たちに囲まれ、社会の負け犬とは関わらずに済む。自分は一体、何をやりたいのか。みんな将来に確かなビジョンもないまま、不安と緊張感にさいなまれながらも、とりあえず前に進もうとしている時期です。優秀な成績を取り、奨学金を受けて、この学校に進学したジョセフィンは、けっして豊かな家の子ではありません。ママは16歳の時にジョセフィンを産んだ未婚の母で、私生児である彼女は、他の子たちとはそもそもの家庭環境が違っていました。そんな出自であることや、イタリア系の血を引いていることが、ジョセフィンの個性に大きく影響を及ぼしています。いえ、そうしたフィルターを通して人から見られ続けてきたことで、影響を受けてしまったのかも知れません。いつも疎外感を感じながら育ってきたジョセフィン。それでも周囲とのバランスをとりながら、なんとかこの世界をわたってきました。そんな彼女に、この年、いくつかの事件が起きます。ひとつは、これまで会ったことがなかったパパとはじめて顔を合わせたこと。妊娠したママを捨ててこの町から引っ越していったパパは、今では、法定弁護士となって活躍していました。戸惑っているのは、娘であるジョセフィンだけではなく、パパもまた同じでした。もうひとつの変化は、ジェイコブという恋人ができたこと。近くの公立高校に通う、ちょっと型破りで不良っぽい少年に、最初は反発しながらもジョセフィンは惹かれていきます。卒業と進学を前にした微妙な季節。そんな中で自分自身を見つけようとするジョセフィンの揺れる心を描きだす作品です。

この物語の舞台はオーストラリアです。オーストラリアの白人コミュニティの中で、イタリア系であることがどういう意味を持つのか。また、厳しいカソリックの戒律を守るイタリア系のコミュニティの中で、未婚の母の私生児であることは、どういう遇され方をするのか。観光地として知っているオーストラリアの開放的なイメージとはかけ離れた厳しい現実がそこにあります。ジョセフィンがずっと感じているプレッシャー。同年代の友だちよりも、生まれながらに複雑なものを背負わされていることへのいらだち。タイトルが示すように、彼女が自分のアイデンティティを探す物語ではあるのですが、「ジョセフィン」を探すのではなく、イタリア系の名字である「アリブランディ」を探すところに深い意味があるようです。アメリカの児童文学の中には、イタリア系の人たちの物語が良くありますが(※)、同じ移民の国なのにアメリカとオーストリアとではまた違うのでしょうね(これもどの社会階層に属したいのかによるのかも知れません)。ジョセフィンの恋人となるジェイコブは典型的なオーストリアの白人であり、ジョフィンはそこに引け目を感じています。一方で、公立校に通い、将来は修理工になろうというジェイコブもまた、成績優秀で弁護士を目指すジョセフィンに引け目を感じていきます。二人に距離があることは最初からわかっています。人を見下す気持ちや、やっかむ気持ち、そんなことは問題ではないと思いたい気持ちなど、自分の気持ちを見極めることも、ごまかすことさえもできないまま、別れざるをえなくなってしまう、やるせない関係性が描きだされます。人間にとって、どんな社会階層で暮らすかなんてどうだっていいことじゃない、と、僕も自信を持って言いきれないところが難しいところです。多様な価値観が同時に受け入れられる世界の理想はあるものの、現実的にそれがどんな社会なのか想像もつきません。

所在のなさに耐え続けること。漂泊の思いを抱えたまま、流木のように生きる。なんて、カッコいいんですが、できれば自分の落ち着ける社会的な居場所を見つけたいものです。マイノリティの苦悩や苦しみは想像しようもない、なんて言うのは、いかに自分が大多数であることにおごって生きているのか、ということかも知れません。現代日本に住む子どもたちにも、無論、こうした民族的な問題にされている子もいると思います。国内児童文学でも、それこそ『コタンの口笛』に始まって、いくつか思い浮か作品はありますが、民族的混淆が進む一方、保守的な出版状況の中で、逆に触れにくくなってきたテーマなのかも知れません。現実には多くの子どもたちが痛みを感じているとしても、そうした気持ちに寄りそう作品があるのか。一般小説ですが、金城一紀さんの直木賞を受賞した『GO』など、現代の少年たちを描いた傑作もありましたが、もう随分と前の作品となってしまいましたね。新しい小説の試みが待ち遠しいところです(いや、僕が知らないだけなのか)。

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