アップルバウム先生にベゴニアの花を

A begonia for Miss Applebaum.

出 版 社: 岩波書店

著     者: ポール・ジンデル

翻 訳 者: 田中美保子

発 行 年: 1998年06月


アップルバウム先生にベゴニアの花を  紹介と感想 >
愛や死を見つめられない。人生や心の本質に関わるようなことについて語ることができない。できれば、あまり「なまなましいこと」については触れたくない。恥ずかしい、というだけではなく、心が拒否してしまう。十五歳ってそんな時間、だったのかどうか。友だちと形而上の問題について、ちゃんと話ができるようになったのは、そういえば、もう少し年長になってからのような気もします。真剣な話題を避けるのは、それに触れることが恐ろしいからか。例えば「人は死ぬ」という絶対的な事実に気づいていながらも、そのことを日中の教室で共有することは難しい。ホラーにしてしまえば平気なのだけれど。根底では愛情を求めていながらも、もっと皆で愛しあおうぜ、なんて口に出せるわけもない。愛や死の話題、は、友人同士、どころか、家族の食卓にも上りにくいものかも知れない。果てしなく照れてしまいながら、この禁忌のフレーズに距離を置く。興味を持つものの、まだ、切実な問題ではないのか。大切なことでありながら、愛や死とは遠いところにいる、それが十五歳なのかも知れません。どうなのでしょうか、リアル十五歳は。

生物のアップルバウム先生が、突然退職してしまったことに驚いたヘンリーとゼルダ。六十二歳といいながら、生徒を驚かせる不思議なユーモアの持ち主である若々しいアップルバウム先生を二人は大好きで、今期も先生の実験助手に志願しようとしていたところなのに。一体、何がアップルバウム先生にあったのか。二人で、先生のマンションにベコニアの鉢植えを持って訪ねていってみたところ、どうにも怪しい医師が出入りしている場面に遭遇してしまいます。どうやら、先生は何か病気にかかっているらしい。それなのに、先生ときたら、弾けるように元気で、しかも馬鹿馬鹿しい遊びにばかり二人をつきあわせる。例えば、エレベーターの前で「変な顔」をして扉が開くのを待つ。人が乗っていなければ1ポイント。乗っていれば5ポイント。そんなゲーム。二人を色々なところに引き回したり、おかしな体験をさせたがる先生は「教えたいこと」が沢山あるのだといいます。やがて二人は、先生の病気が、既に手遅れのものであることを知ってしまいます。悪性腫瘍。先生はこのことを知らないよう。どうやって、そのことを告げたらいいのだろう。それよりも、ちゃんとした病院に入れて治療を受けさせなくては。二人は行動を開始します。

この物語は、アップルバウム先生の死にまつわる、ヘンリーとゼルダの二人のレポートなのです。交代に、事件の全容を描いていく、二人の文章は、活き活きとしていて、それぞれの性格が反映されたものになっています。幼なじみの男女二人。お互いがレポートで「触れたがらない」ことについて、自分を棚にあげて、相方のことを鋭く指摘したり、時にはほめてみたり。お互いを理解している部分や、また、それぞれの精神的な「地雷」がどの辺にあるかが推測されて興味深く思えます。絵入りのユニークな文章で、たわいもない話題も沢山あって、そうした中で、十五歳なりの、両親との関係の問題、心の障壁の問題、そして、アップルバウム先生の事件に際して、自分たちが「やってしまったこと」への感慨が描かれていきます。自分たちが、何に触れたくなかったのか。何から目を逸らし、見ないようにしてきたのか。アップルバウム先生が、最後に二人に教えてくれたものは、なんだったのか。そして、触れられなかったなにかに、触れることはできたのか。切なくも、若い心が成長していく物語です。訳者あとがきによると、著者は「サリンジャーの息子」とも渾名される書き手だそうです。たしかにYAというより、辛らつな青春小説的な匂いが濃厚な作品でした。なかなか、いい雰囲気がありましたよ。