イマジナリーフレンドと

CONFESSIONS OF AN IMAGINARY FRIEND.

出 版 社: 小学館

著     者: ミシェル・クエヴァス

翻 訳 者: 杉田七重

発 行 年: 2019年04月

イマジナリーフレンドと  紹介と感想>

「特別な自分」に自尊心や矜持を持つことはいいとして、問題は、自分が特別ではない場合です。特に語るべき能力も個性もない。誰かのためになるわけでもなく、いてもいなくてもいい存在。そうなってくると、自分がここにいることも不安になってくるし、疎外感や罪悪感さえ抱いてしまうものです。自ら自尊心を養うことは肝要ですが、何をセルフリスペクトすべきかは難題です。ここにはまた、自己肯定感という言葉もあります。現代(2025年)では、こちらの方が注目すべきキーワードとなっています。何者でもない自分を、そのまま肯定できる心持ちは、より良く生きるためのガイドラインとなります。さらにハードルを下げますが、誰からも顧みられず、愛されなかったとしても、自分が自分であることに満足して生きていっても良いのです。こうなるともう気の持ちようというか、脳のコンディションの問題であり、落ち込んだときには、誰かの励ましよりも化学療法の方が有効なのではないかと思えてきますが、物語が涵養するスピリットについても考えさせられるところです。本書は何者でもない自分がどう生きていくかを突き詰めた物語です。主人公はイマジナリーフレンド当人であり、想像上の存在で、何も拠り所はありません。出自が、人の想像なのです。その自我や葛藤もまた人が想像したものではないのかと思うものの、本書では独立した人格として描かれます。それは、自分の存在の空虚さに悩むティーンの心情の映し絵であり、この特異な設定を越えて、共感をもたらす題材ではないかと思うのです。ユーモアを混えつつ語られる、人がどうやって豊かな心持ちで生きていくべきかというテーマ。微かな苦味もまた身上です。

ジャック・パピエは、自分が嫌われ者で、誰からも無視されていると思っていました。もちろん双子の妹のフラーと両親はいつも自分を気遣ってくれますが、学校ではまるで自分が存在しないかのように扱われ、声をかけられることもないのです。この悩みがやがて、自分が嫌われているわけではなく、現実には存在しないからだという事実にたどりつきます。そこに気づくまで八年かかったのです。両親もまた、フラーがジャックが存在すると言い張るために、食事を用意し、場所を空け、まるでジャックがそこにいるかのようにふるまっていてくれただけだったのです。ジャックは、自分がフラーのイマジナリーフレンドであることに慄き、自分の存在に不信感を抱きます。一方で、フラーは自分こそが誰にも見えないイマジナリーフレンドだなどと言い出し、精神科に連れて行かれることになります。病院でジャックは、他の子が連れた「同類」であるイマジナリーフレンドたちと知り合います。互いの悩みを打ち明けるイマジナリーフレンドのコミュニティに参加し親交を深めつつも、何者でもない自分に焦燥を覚えるジャック。フラーの元を離れて自由になる方法を教えてもらったジャックは、自分をさがす旅に出ます。しかし、結局、自分は誰かのイマジナリーフレンドとしてしか存在しえないという事実を知ることにもなります。何人かの子どもたちの間を、イマジナリーフレンドとして渡り歩くジャックがやがてたどり着いた場所はどこだったか。ユーモラスでありながら、どこか切なさをまとった物語です。

自分探しはネズミの嫁入り的帰結を迎えるということが往々にしてあります。元いた場所が自分の一番良い場所だったと思えるようになるのは、自分を探した経験が培った心の成長によるものなのでしょう。どこかに行けば、なにかがわかるわけではない。それでも探すこと自体に意義はあります。自分の存在価値は、その出自ではなく、人生でどのようなアクションを起こせるかどうかにある。愛されることの受動よりも、愛することの能動に見出されるものではないか。そんなふうに考えるようになることも暫定的な結論ではあるのですが、多くの出逢いによる経験が培ったものが確信を補強していきます。フラーとの関係を離れてジャックが出会ったのは、それぞれクセのある子どもたちです。悪いところも目についていましたが、後に振り返って、それぞれの美点をジャックは受け止めています。『やさしいフラー、ユニークなピエール、心の大きなマーラ、勇敢なバーナード』。そして彼らを、ジャックの存在が慰め、励ましていたのです。個性はほめられるものばかりではありません。尊敬できるところのない自分自身を誇ることは難しいものです。それでも自分の存在を肯定すること。ここにいても良いのだと思えること。そこには、誰かの手助けが必要となることもあります。時には、誰かを手助けすることが、自分の存在を支えてくれることもあるのです。イマジナリーフレンドは、想像主から必要とされているからこそ存在しています。やがて、必要とされなくなり、忘れられ、その存在を消してしまうこともあります。すべての存在は永遠ではありません。それでも、ここに閃いていた関係性は消えないし、かつてイマジナリーフレンドがいたこと、は輝く灯火です。何を支えとして人は生きていくか。人ならぬイマジナリーフレンドの物語が、人の生き方を見つめさせます。また、ジャックのためにあえて別れを選んだフラーの気持ちにも感じいるところがあります。それぞれの子どもたちにとって、ジャックの存在には意味があったはずです。物語の観点として、考えるべき余白が大きく残されている、そんな作品でもあります。