迷子のアリたち

The ant colony.

出 版 社: 小学館

著     者: ジェニー・ヴァレンタイン

翻 訳 者: 田中亜希子

発 行 年: 2011年04月


迷子のアリたち 紹介と感想>
できれば、この物語をなんの先入観も持たずに読んで欲しいと思います。でも、あえて内容を紹介します。したくなるような本なのです。田舎の町から一人でロンドンに出てきた十七歳の少年、サム。賃料が格安のアパートを見つけたし、働く場所も確保できました。でも、新天地で新生活を始めることへの胸躍る気持ちなんてものはありません。サムの心はすでに終わっていました。もとより希望を持って、都会に出てきたわけではありません。誰も自分を知る人のいない街で、じっと身を潜めていたい。サムが家族に黙って家を出てここに来たのは、孤独になるためでした。無論、それにはワケがあります。あえて行方不明になろうとしている、そのワケにさえ誰からも干渉されたくなかったのです。都会の良さは「見知らぬ人」に囲まれていられるところ。都会にはサムが住んでいた田舎町のようなわずらわしいコミュニティはありません。それなのにサムはアパートで否応なく人と関わらなくてはならなくなります。すぐにブレーカーが飛んで停電になる、バスルームも共用の古いアパート。ここに暮らしているのは変わった人たちばかりでした。シワとひびだらけの顔をした管理人のスティーブ。銃のタトゥーをふくらはぎに入れた男ミック。玄関マットという名前の犬を飼っているおせっかいなお婆さんイザベル。そして、飲んだくれのシングルマザー、チェリーとその娘ボヘミア。ボヘミアは10歳なのに、そんな年齢とは思えないほどのやせっぽちです。明らかに栄養が足りていないのは、食事代わりにプリングルスを食べているような生活だから。チェリーは娘をほったらかしにして遊び歩いているし、ボヘミアは学校にも行っていません。妙にボヘミアになつかれてしまったサムは、困惑しながらも面倒を見ることになります。イザベルは親から放置されているボヘミアを心配して、しかるべき機関に連絡をしようかと考えています。そんなイザベルですから、無論、サムのことも心配していくれます。誰からも関心を持たれないでいるなんてことは、意外にも難しいのです。そして、誰にも心を動かさないでいる、なんてことも。

ママがママだけに、ハードな育ち方をしたボヘミア。それなのにフレンドリーな性格で、サムには興味津々です。自分のことをしゃべろうとしないサムからボヘミアが聞き出したのは、地元にマックスという友だちがいること。そして、リンゴという名前の大きな犬を飼っていたことでした。よほどマックスとリンゴのことが好きなんだろうとボヘミアは思います。サムはボヘミアにアリの話をしてくれます。それは、サムがマックスから借りた本に載っていたという知識です。いつも明るくコミュニケーションをとってくるボヘミア。サムはボヘミアの孤独を感じ取っていました。手も足もガリガリで栄養が足りず、疲れた目をして、それなのに笑顔を浮かべているボヘミア。ボヘミアはサムのことを心配しています。家を出て、こんなところで一人で暮らしているのは、不思議な気がするのです。そんなボヘミアの態度にサムはイライラして、時にボヘミアに酷いこと言ってしまうこともあります。ついに、サムの言葉に怒ったボヘミアは、サムがマックスから借りたアリの本を持って旅に出ます。それでも、いつも悲しそうなサムのことが、本当は気になっているのです。心が凹んだままの少年サムと、健気で天真爛漫なボヘミアが、悪口を言い合いながらも心の絆を結んでいく姿がなんとも愛おしい作品です。ボヘミアは旅の果てに、サムの閉ざされた心の扉を開くことになります。とはいえ、なかなか、これは大変なことで、あまりの展開にちょっと参りますよ。なので、是非、先入観なしで読んで欲しいんです(ここまで紹介しておいてなんですけれど)。

この物語を読んでいると、懐かしの漫画『めぞん一刻』が思い出されます(YA作品つながりなら、妖怪アパートを例証すべきですが)。アパート「一刻館」の変人揃いの住人たちと、そこで翻弄される少年、という構図が一緒だからでしょうか。ただし、この物語には若くて美人の管理人さんは断じて登場しません。このアパートの管理人のスティーブはトカゲのような皮膚をした気味の悪い男です。リアリティとはそういうもの。管理の行き届いた都会のマンション暮らしなら、隣に誰が住んでいようと、防音や警備もしっかりしているので気にならないものですが、こうした古いアパートとなると、みんな「肩よせあって生きている」ために多干渉になりがちです。実際、互いに助け合うことが必要な人たちが集まっている、と言えないこともありありません。人間は他の人のために親身になることができます。それは、意外にも、どんな人間にも備わっている能力なのかも知れません。この作品の原題は「アリのコロニー」。都会の底辺、ロンドンのアパートで暮らす、ちっぽけなアリのような住人たちが織りなすドラマです。封印されていた扉が開いてしまい、加速していく物語には大いに驚かされます。そして、終わりが近づくにつれ、どうしたらよいんだろうと、途方に暮れさえもします。どうしようもないまでの失意からの再起を物語は促します。そう、いつだって、再起のチャンスはあるのですよ。胸を打たれる物語です。是非、この感慨を味わって欲しいと思う傑作です。先入観がないうちに、是非(もう遅いか)。

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