出 版 社: 福音館書店 著 者: ジェイン・レズリー・コンリー 翻 訳 者: 尾崎愛子 発 行 年: 2005年04月 |
< クレイジー・レディー! 紹介と感想 >
物語は、主人公の少年ヴァーノンが二年前に出会って別れた、あの強烈な親子のことを回想する現在からはじまります。クレージーレディーと仇名されたアル中の無茶苦茶な女性マキシンと、その知恵遅れの息子ロナルド。これは、ヴァーノンの心にあいた穴を、ひと時だけふさいでくれた短い時間の出会いの物語です。ヴァーノンは5人兄弟姉妹の3番目。他の兄姉たちと違って、成績が悪くて、なにも良いところがありません。でも母さんだけはヴァーノンを抱きしめて、肯定してくれる人でした。そんな母さんが工場での仕事中、突然の心臓発作を起こして死んでしまいます。母さんが死んだことでヴァーノンは、自分自身のことを、ただのデブでダサい少年としか思えなくなってしまいます。父さんや姉さんが時間をやりくりして、家事を支えてくれるので、家族が暮らしていくことはできるようになりました。でも、ヴァーノンの心にあいた穴は、なかなかふさがってはくれなかったのです。
クレージーレディーと呼ばれて恐れられている女性、マキシンは、近所の子どもたちのタチの悪い冗談とイタズラの対象でした。なにせ、スラムの家の中でも群を抜いてひどい家に住み、髪の毛はいろんな方向を向いて突っ立っているし、色の濃いサングラス、ふさ飾りのついた大きな赤い帽子をかぶっている異様な風体。そして、知恵遅れの息子、ロナルドを連れて歩いているのです。そんなマキシンを、からかい、怒らせて、その様子を見物するのが、子どもたちのなによりの楽しみでした。そんな、ある時、ヴァーノンは、マキシンと「個人的な遭遇」を果たしてしまいます。意外にも、マキシンはヴァーノンを叱りつけることをせず、彼の亡くなった母親に憧憬を抱いていたことを告白します。ヴァーノンの母親の博愛は、マキシンと、その息子、ロナルドにも温かい手をさしのべていたのです。ヴァーノンは、仲間たちに知られると恥ずかしいと思いながらも、マキシン母子と親しく接するようになり、また、マキシンの友人の老婦人、元小学校教師のミス・アニーから勉強を教わるようになります。見識あふれるミス・アニーのアドバイスを受けながら、ヴァーノンは周囲の温情でかろうじて生かされている、このか弱い母子に関わっていきます。そして、マキシンがロナルドを大切にして、愛しているのに、彼女の生活態度と素行が最悪なことから(なにせアル中なので)、二人が引き離されそうな危機にあることを知り、なんとか二人が母子として一緒に暮らしていけるようにしてあげられないのかと思うようになるのです。
思えば、ヴァーノンは自分が母親から死によって引き離されてしまったことを、マキシンとロナルドに投影して、二人の絆を守ろうとしていたのかもしれません。そのことで、自分の痛みも和らげられたのかも知れない。マキシン親子のための慈善行為などが評価され、自信のない子であったヴァーノンも少しだけ、強くなっていきます。母がいなくなり、変わってしまった家庭を、新しいルールで、父親や家族たちと一緒に再建していこうとするヴァーノン。弟や妹たちの抱える寂しさと、もしかすると一番、寂しい思いをしているかも知れない父親の気持ちにも気づいてしまいます。表面上は、言い争いになることもありますが、心の底から優しい目でヴァーノンを見守っている父の、その手の温かさは、ヴァーノンにも届いたのではないでしょうか。なかなか胸に迫るシーンもあります。すべてがハッピーエンドにおさまらないのだというあたりも、深い余韻を物語に与えています。この物語を読みながら、不覚にも、何度か涙ぐんでしまったのは、いつか見た情景への個人的感傷によるものです。まあ、思い出し泣き、というやつです。少年の日の感傷なんて、本当は美しくもなんともないのです。惨めさと、痛ましさと、ひたすら愛情を求めていて、大人になりきれない、切ない時間の産物なのです。そんなクシャクシャな思いがギュと詰まった作品です。どうにも、泣けてしまうのが、悔しいのです。