フラダン

出 版 社: 小峰書店

著     者: 古内一絵

発 行 年: 2016年09月

フラダン  紹介と感想>

良い意味で、出来過ぎなお話です。目標を失ってしまった少年が、次第に目覚めて、葛藤して、気づきを得て、仲間を得て、歓びに満たされていく姿を描く物語は、パターン通りではあるのだけれど、感銘を受けます。そんな幸福な物語であるのですが、その背景には、非常に重いものがあります。舞台が東日本大震災の被災地であるということ。解決も救済もできない喪失は、結局、埋めようもないのだけれど、それでも前に進んでいこうとする姿が描かれます。ここが出来過ぎで、考えてしまうところです。高校生たちのクラブ活動でのフラダンス部の活躍を描く物語ですが、あの震災から五年目の被災地には深くえぐられてしまったものがあり、それを元のように埋め合わせることは不可能です。それでも人は心を補いあって生きていくわけですが、その深層は複雑すぎて、有り体な美談で繕うことはできません。この物語では、覆い隠されていたものが、一度、むきだしになり、そこからの再出発が描かれていきます。そのプロセスも含めて出来過ぎ、なのです。良い意味で。どこか引っかかっているのは、恐らくは自分には、人を信じる力が足りないからだろうなと。そんな自分の心の弱さも逆照射されるほどの眩しい物語でした。

福島県の工業高校に通う穣(ゆたか)が水泳部を辞めたのは、ちょっとした心の事情があったからです。次期主将になるだろう同級生の松下と考え方が合わない穣は、自ら身を引いた形ではあるのですが、自分自身の優しさが甘さであることに気づいてもいて、どこか傷ついていました。穣が学校のプールで泳いでいた姿を密かに凝視し続けていた女子生徒、詩織は、水泳部を辞めた穣を早速、フラダンス愛好会に勧誘します。その肉体を見込まれたと言われて戸惑う穣でしたが、イケメン転校生でどこか調子外れだけれど天真爛漫なイイ奴、宙彦(おきひこ)に巻き込まれてフラダンス愛好会に参加することになります。工業高校の数少ない女子生徒が集まった愛好会、とはいえ、もとより男子は稀少なフラダンスの世界。そこに集まった四人の男子生徒と、女子生徒たちが、フラガールズ甲子園を目指すことになりますが、笑いあり涙ありの、ただの部活モノではいられない、重い背景が存在するのが、ここ、福島というロケーションです。ここが読みどころなのです。

小学生の時に震災に遭遇した子どもたちは五年経って高校生になっています。同じ被災者同士でも、それぞれの被害のレベルには違いがあって、迂闊に相手の素性を聞くことができないという不文律もあります(子ども同士で震災の話をするなと指導している学校もあるそうです)。家を無くした人もいれば、家族を亡くした人もいます。原発の避難地区に住んでいた人もまたここにはいるのです。復興、を望みながらも、どうにもならない八方塞がりな状況を前に、ただ失意を抱いている人たち。穣もそうした気持ちを胸に潜めていました。フラダンス愛好会の活動で被災者の仮設住宅に慰問に行き、フラダンスに一番大切な笑顔を浮かべることができなくなった高校生たちは、それぞれに複雑な気持ちを抱いていました。原発のすぐ側に住んでいたため、家に戻れないままの子もいます。父親が、あの電力会社に勤めていて被災者の渉外担当として働いている子もいます。やがて、隠されていた互いの胸の内や、秘めた想いが明らかにされていきます。大人たちが陰で口にしている不安や偏見に影響されて、人を責める子もいる一方で、なるべく人を傷つけないように沈黙し、自分の心も塞いできた子もいるのです。穣はその気持ちが、悲しみや辛い気持ちであっても、言葉にして話をすることを考えていくようになります。フラダンスの躍動感と友愛の気持ちが、行き違いになった子どもたちの心を結びつけていく物語です。出来過ぎではあるのだけれど、何も解決しないままであっても、前を向いて生きていける、そんな希望が胸に灯ります。ドラマか映画になるとよいだろうなあ。ちょっと高校生たちのフラダンスも見てみたくなりました。2017年の青少年読書感想文コンクールの課題図書です。