出 版 社: 講談社 著 者: 福永令三 発 行 年: 1984年03月 |
< クレヨン王国のパトロール隊長 紹介と感想>
小学五年生の小林ノブオ君。本当は信雄という名前なのですが、今はカタカナでノブオと名乗っています。それには悲しい事情があります。ノブオが遊んで投げた帽子が風で飛ばされ、それを拾おうとして道路に飛び出した妹のきよ子が車に跳ねられました。一命はとりとめたものの、きよ子は失明し、はねた車の運転手も、きよ子をさけようとしてハンドルを切りそこね、対向車にぶつかり亡くなりました。お母さんは、きよ子の面倒を見るために仕事を辞めることになり、お父さんとも口げんかが絶えません。家に振りかかる不幸を避けようと、占いに凝るようになったお母さんは、姓名判断から、信雄の名前をノブオに変えたいと言い出し、さらにお父さんと言い争うのです。ノブオは、もう自責の念や、いたたまれなさで一杯で、自ら小林ノブオの名刺を作り学校で配るのですが、担任の右田先生は「こどもが名刺なんてつくるなんて、フザケている」とノブオに冷ややかに言うのです。この右田先生、ノブオの家の事情を知らないはずはないのですが、ことあるごとにノブオに辛くあたります。教育的指導を逸脱して、ノブオを嫌っているとしか思えない態度をとるのです。生徒思いの評判の良い先生のはずなのにノブオにだけはつめたい。要はソリが合わないのですが、ノブオもまた意地をはり先生に徹底抗戦してしまいます。小学五年生と先生では対等の喧嘩になるはずもなく、ノブオの心はあともう少しで砕けてしまいそうなところまできていました。野外授業の日、ノブオは先生とまた揉めることとなり、先生の顔にツバを吐きかけたまま、逃げだしてしまいます。悲しさや、悔しさ、失意の感情でいっぱいのノブオは、ふいにもうひとつの世界に紛れ込むことになります。ノブオがたどり着いたのは、妹のきよ子が以前にクレヨンで描いていた絵とそっくりの家。それが「クレヨン王国」への入口だったのです。
クレヨン王国の王様は、心の中を透視するアトラス光線でノブオの心が崩壊寸前ということを知り、しばらくこの国に滞在させようと考えます。パトロール隊長の任務を与えられたノブオは、現実世界での心の傷をたくさん抱えたまま、クレヨン王国での暮らしを送ることになります。水の精と、火の精との戦争に巻き込まれたノブオは、なけなしの勇気を振り絞り、クレヨン王国の人々を救います。英雄的行為を称えられながらも、やむなく国禁を犯してしまったノブオが、クレヨン王国を国外追放になるまでの一年間。色々な事件に遭遇しながら、現実世界での人間関係をオーバーラップさせ、自分の考えを深めていきます。そして、現実世界にいた頃の負の感情でいっぱいだったノブオには、気づくことができなかった気持を感じとっていきます。ノブオに会わなければ、右田先生も「憎しみの感情」を引き出されることはなかったのではないか。妹のきよ子を失明させてしまったとき、ノブオを叩いたお父さんの真意はどこにあったのか。ノブオの視野は、クレヨン王国の日々の中で、確実に広げられていきました。
現実を出発点にして、異世界に入り込み、そこでどのような経験をして、再び現実に戻っていくのか。児童文学ファンタジーの場合、異世界で多くの気づきを経て成長して、現実を捉えなおせるようになるのが常套です。しかし、この作品の現実は重すぎて、読む側も、なかなか消化できないのです。総計500万部を超えるというベストセラー「クレヨン王国」シリーズの中でも、特に推す人の多い『クレヨン王国のパトロール隊長』ですが、やはり、この重さに胸が苦しくなります。特に印象に残るのが「担任の教師にやみくもにきらわれる」という理不尽さです。これは相当に厳しいのではないか、と自分の無力な小学生時代を振り返って思うこともあります。ただ、こうした不幸な人間関係が現実に確実にあることだと、子どもたちも皆、知っているのです。悲しいことですが、身をもって感じている子どもまたいるのでしょう。僕も小学生の時に、ちょっと家の事情が複雑になったことがあって、その当時の担任の先生や校長先生の厚意にフォローしてもらいました。でも、担任が代わると、まったくそこには配慮してもらえなかったりと、先生の個人差を思い知りました。おそらく、現在の小学校なら、心的フォローのシステムが「組織的」にあって、このノブオ君ほどの事件に遭遇したのであれば、相応のメンタルケアは継続されるのではないかと想像しています。教育の現場のシステムは、もう少し進化していると思いたいのです。教師もまた、並の大人よりもハードな人生を経験している子どもたちに、ヤワな育ち方をした教師が、どう先入観を振り払って対峙できるのか。教師の資質についても考えさせられます。この作品には児童文学のフィールドに納まりきらない問題提起あり、子どものハートをわしづかみにするパワーを感じます。読むたびに落ち込む重い作品です。まだ自分の中で、こうした子どもをフォローするための最適な答えが出ていないからなんだろうな。はあああ。