おばかさんに乾杯

Darfinkar och do¨nickar.

出 版 社: 小峰書店

著     者: ウルフ・スタルク

翻 訳 者: 石井登志子

発 行 年: 2003年09月


おばかさんに乾杯  紹介と感想 >
どうして、子犬のようにかあさんの腕の中に甘えることができないんだろう。子犬は頭をかあさんの胸の上に乗せて安心している。どうして、わたしは、こんなに意地悪になってしまったんだろう。気持ちが落ち着かなくて、イライラばかりしている。ここ数日ときたら、問題行動ばかり。わたしは大好きなおじいちゃんに、自分の中で吹いている意地悪な風のことを話した。『そいつは、小鬼がシモーネと遊んでいるせいだと思うよ』とおじいちゃん。『この宇宙をつくっただれかさんは、利口なだけじゃなくて、いつもひらめきや、思いつきのばかげたことでいっぱいのおばかさんだったのさ。いたずら好き小鬼に姿を変えて、人間の世界にとんでもないことを巻き起こしては、人間を退屈させなかったり、天国でおもしろい話をしているのさ』。優しいおじいちゃんは、そうわたしに話をしてくれた。もうすぐ寿命が尽きる、おじいちゃん。療養施設を抜け出して、最後のひとときをわたしたちと一緒に迎えるために、この家にやってきた。やわらかなチェロをひくおじいちゃんはまるで聖人のようだったり、わたしや、かあさんを沢山、からかったりもした。やがて、命がつきるその瞬間まで、おだやかに、人生を楽しんだ人だった。死は、かならずくる。でも、幸福な諦念というものが、あるのだということを、十二歳のシモーネも知ることになる。ゆっくりと訪れる死と和解しながら、一生をまっとうしたおじいちゃんの姿に、シモーネは、悲しみだけではないものを感じとっていく。

さて、話は、シモーネが十二歳の誕生日を迎えた日に遡ります。これが、また最悪の日で、ちょっとでたらめな、かあさんは、誕生日なんて覚えてないし、相変わらずのマイペース。しかも、これから、かあさんが、好きになった新しい男性と一緒に暮らすことになる。そのための引越しの準備は、もっと頭が痛いのです。お相手はイングベという頭がほとんどハゲている、冴えない男性。わびしかったけれど気に入っていたこのアパートを出て、市の南の方のすきま風の入るようなぼろ家に移ることになり、学校や近所の友だちともさよなら。しかも、何故か、引越しの最中に、大切なペットの犬のキルロイとはぐれてしまった。どうもイングベは、いけすかない。気が滅入っていたところにやってきたのは、大好きなおじいちゃん。でもおじいちゃんは『わしは死ぬためにここへ来たのだ』という。ともかく豪放でユニークなおじいちゃんは、沢山、笑わせてくれるのだけれど、実際、病院を抜け出して、ここにいるのだから、心配は心配。そんなシモーネにおじいちゃんは、優しく語りかける。『われわれ人間はみんな、自分が気づかない力で満たされておるのじゃ』、利口な人間の不安やひんしゅくを買っても、われわれ「おばかさん」は水の中をはいずりまわるんじゃ。わたしも「おばかさん」の血が流れているのかな。『悪意のある風にだけは気をつけるんだ』。おじいちゃんは何を言いたかったのか、わからないけれど、シモーネの心は、十二歳の不安でイライラした気持ちに、すこし沈んでいました。新しい学校に通いはじめた、シモーネ。ところが、どういうわけか、名前の綴りの最後の「e」が飛ばされていて、シモン、という男の子の名前になっていたのです。シモーネのイタズラ心に火がついて、シモンという男の子になりすまし、どうも、問題行動ばかりを起こすことになります。ちょっと生意気な男の子と、男同士のフリをして張り合ってみたり。男の子だけの秘密の遊びに混じってみたり。まあ、そんな中で、友情と好意のないまぜになったような感情をもっては、ドキドキすることになったり、いけすかないと思っていたイングベの心配する「気持ち」に気づいたり。やがて喧嘩友だちのクラスの男子を「好き」という感情に気づいてみたり・・・。

十二歳の女の子が、家庭環境の変化と、ちょっとした誤解から遭遇した「男の子になる時間」を経て、家族や友人、特に異性との交わりや、おじいちゃんの死に向かい合う物語です。所謂、思春期の反抗期の心に吹いてしまう、意地悪な風を、自分でもやるせなく思いながら、コントロールできないでいる、そんないじらしい時間が、巧く描かれている作品だと思います。個性的な家族と友人たちに囲まれ、わずらわしく思っていたことも、だんだんと違った形に見えてくる、そんな心の成長もここにあり、最後には厳粛なテーマを優しく受け入れることができる作品に仕上がっています。訳者のあとがきによると、実質的にこの作品が、ウルフ・スタルクの児童文学者としてのデビュー作となるそうです(1984年の作品だそう)。後の彼の作品に感じる、なんとも、健気な子ども心の萌芽がここにあり、また家族の愛情が暖かく描かれているところにも、ああ、ウルフ・スタルク節だと思ってしまいました。スウェーデンと日本では、国情は随分と違うとは思うのですが、思春期特有の物思いや、家族の愛情表現など、非常に親近感をもって感じられるのがスタルクの作品で、今回、ようやくデビュー作を読んだ形とはなるのですが、あらためて、児童文学王国、スウェーデンの懐の深さを思い知るのでした。

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