出 版 社: 徳間書店 著 者: リンダ・スー・パーク 翻 訳 者: ないとうふみこ 発 行 年: 2018年12月 |
< ジュリアが糸をつむいだ日 紹介と感想 >
世代や地域や、そもそも学校によって違うようですが、小学生の頃にカイコの飼育を体験された方は多いのではないかと思います。実は、それが自分にとって積年のトラウマとなっておりました。いつかカイコの飼育を題材にした児童文学作品が登場して、自分のトラウマが解消されることを夢想していたのですが、アメリカに住む韓国系の女の子を主人公とした翻訳作品で手にとることになろうとは意外でした。日本では養蚕業がかつて主要産業だったという伝統もあるのか、カイコの飼育はわりとスタンダードな実習なのかと思います。ネットを検索していたら富岡の小学校の実践が紹介されたページを見つけました。なるほど地域の伝統を学ぶということにもなるんだと思いました。日本人からすると、さして違和感がないのだけれど、アメリカの子どもたちはどう読んだのか。相当、特異なことではないのかと思うのですが、どうなのでしょう。芋虫を蛾にするって、ねえ。カイコの飼育から僕が学んだことは、自分の至らなさです。幼虫が糸を吐いて、蛹になるための繭を精製し始めたら、いち早く繭の周りを小さく囲わなければならなかったのに、この対応が遅れて、上手く繭を作らせることができず、羽化できないまま死なせてしまったのです。いまだにこの件に苛まれています。昆虫とはいえ、自分の失敗で「むだに」死なせたことを悔やんでいるのです。カイコって存在感がすごくあるし、桑の葉をどんどん食べる姿は圧倒的で、生命力に満ちているんです。命を委ねられる飼育実習の意義を感じますが、失敗すると延々と引きずります。ということで、カイコ飼育のディテールを思い出させてくれる、胸に痛い作品でした。主人公たちはカイコの飼育から何を感じとったのか。文化に関する複雑なテーマも孕んだ作品です。
韓国人の両親にアメリカで育てられた中学生のジュリア。彼女は隣に住む親友のパトリックと一緒に農業クラブに参加しています。毎年、11月になるとクラブの子たちは自分たちでテーマを決めて、自由研究をすることになっており、優秀な研究はイリノイ州の品評会で発表することできます。研究テーマを何にするか悩む二人に、ジュリアのお母さんが勧めてくれたのは、カイコを育てて糸をとることでした。羊から羊毛がとれるように、カイコからは絹がとれる。布は作れないけれど、とれた糸で刺繍をすることはできるかもしれない。パトリックは乗り気でしたが、ジュリアとしては、このテーマが「韓国的」であることに引っかかっています。中国や日本だけでなく、韓国もまた絹糸の生産地なのです。アメリカで育ったジュリアは自分をアメリカ人だと思っていますが、両親は韓国系であり、常食しているキムチの臭いがいつも家に漂っていることに、友だちの手前、ちょっと恥ずかしさを抱いていました。あまり韓国的なものに良い印象はない。とはいえ、テーマが決まれば動き出せるし、次第に夢中になってしまうもの。餌となる桑の葉の確保から始まって、卵を入手して孵化させ、カイコを成長させていくプロセスにのめり込んでいきます。ジュリアがカイコ飼育に抵抗があったように、実はパトリックもイモ虫恐怖症で、それを克服しようとしていたことがわかったりと、二人の心のドラマも面白いところです。そして最大の障壁は、繭から糸をとるならば、繭の中のカイコを煮殺さなければならないという選択です。ジュリアはどう決断をくだし、心の折り合いをつけたのか。生き物の犠牲の上にある収穫について考えさせるところもテーマのひとつです。自分の飼育実習ではこの工程がありませんでした。糸を取った記憶もなかったので、あれはひたすら蛾を孵すプロジェクトだったのかと不思議に思っています。なので、この試練はスルーだったんだよなと、今更ながらホッとしています。
興味深かったのは、韓国人であるジュリアのお母さんが、黒人に対して、どこか含むところがある、というくだりです。はっきりとは言わないものの、お母さんには偏見があることをジュリアは気づいています。ジュリアはどうしてお母さんが黒人に対して反感を抱いているのか想像します。お母さんが育った頃の韓国で見たアメリカの黒人兵への悪印象からなのか。その理由ははっきりしないし、その考え方が変わることもありません。アメリカ人としての自覚があるジュリアからすれば、そうした偏見が理解できないのです。ただ、中国人や日本人と混同され、韓国系であることを正しく理解されないことには抵抗がある。伝統に誇りを持つアイデンティティの美点と、その反面にある閉鎖的な民族意識や偏見。先入観が見誤らせるものについて。カイコの飼育を通じてジュリアが色々なことを考えていく物語であるところが面白いですね。また本好きのパトリックが読んでいる本が良くて、『ザッカリー・ビーヴァーが町にきた日』や『青いイルカの島』などの名作に触れられています。どんな本を読んで育つか、これもまた文化なんですよね。