ぼくがスカートをはく日

Gracefully Grayson.

出 版 社: 学研プラス

著     者: エイミ・ポロンスキー

翻 訳 者: 西田佳子

発 行 年: 2018年08月


ぼくがスカートをはく日  紹介と感想 >
六年生の男子、グレイソンの心の中で大きくなっていくもの。それは女の子の服を着ている自分自身の姿の夢想でした。女の子みたいになりたいのではなく、もとより自分は女の子なのです。ただし、身体以外は。少年の身体は成長にしたがい、次第に女の子らしくなくなっていく。それなのに気持ちは募っていき、願望は強くなる。自分が着ている服が女の子向けのものだと、思い込もうとすることにも限界があります。古着屋で服を選びながら、スカートを試着したい思いに駆られてしまう。ただ、そんな想いは誰にも知られてはならないのです。なぜって、気持ち悪いと思われ、からかわれ、いじめられることを覚悟しなければならないから。自分の心を誰にも打ち明けられないまま孤独に沈んでいたグレイソンの契機は、学校の劇のオーディションに出たことでした。なんの役をやりたいかと希望を聞かれた時、グレイソンがヒロインの名前を上げたことで世界は変わりはじめます。舞台の上で女の子になることを選んだトランスジェンダーの男の子をめぐる物語。この題材だからこそ描ける、繊細な心の波動や、ときめきがここに繋ぎとめられています

このストーリーには、同工異曲の作品があります。『ジョージと秘密のメリッサ』は同じようにトランスジェンダーの男子が、学校の劇でヒロインを演じるプロットです。それぞれ面白い作品であり、そのディテールの違いに興味を引かれます。本作の方が、主人公の年齢が上であることで、より複雑な感情が描き出されているようです。両親がいないことで孤立感もきわだっている一方で、グレイソンを理解し、歩み寄ってくれる大人も登場します。また、過酷な仕打ちを受けたり、自分のために、周囲の人間に犠牲を払わせてしまうような事態も引き起こされます。『ジョージ~』の方がユーモラスで、本作の方が、ややシリアスだったか。静謐な雰囲気のあるグレイソンが密かな決意をする姿には、気持ちを引き寄せられました。そのカミングアウトの覚悟。人からどんな目で見られようと、自分の思うように生きたい。四歳で両親を事故で亡くし、おじの家でその家族と一緒に育ったグレイソン。おじの家に引き取られる前まで、両親のもと自分が望むまま女の子としてふるまっていたという事実を、今更ながら知り、自分自身の本質に気づきます。グレイソンのそうした志向性を知っていたため、ずっと警戒してきた、おじの家族の心理なども興味深いところがあります。特異な存在を執拗にからかおうとする子どもたちや、男の子が女の子としてふるまうことに抵抗を覚える大人たち。単なる嫌悪感ではない「恐れ」がここにあるような気がします。頑な人たちが恐れる、壁が崩されていく日は近いと、そんな未来への予感も与えられる一冊です。

『ぼくがスカートをはく日』という邦題は、読む前からジェンダーに関するテーマを想起させられます。巻末には訳者ではなく、LGBT関連の活動をしているNPO法人の代表の方の解説があり、この本の志向性を感じさせます。ここ数年、翻訳児童では頻繁にLGBTテーマの作品が刊行されているため、そろそろ逆に埋没してしまう危惧を感じています。原題は韻を踏んだ、まさに優雅なタイトルですが、主人公のグレイソンが劇で女神ペルセポネを堂々と演じ切った姿が目に浮かぶようです。行動を起こすことにはリスクがあり、その代償を払わなければならないということが、この物語では示唆されています。グレイソンの試みは成功した部分もあれば、悪い結果を招いた部分もあります。だからこそ勇気を持つこと。踏み出せば、手を差し伸べてもらえるのだという可能性を信じること。物語の伝えることには普遍性があり、題材が特異であるがゆえに、より輝くものがあったかと思います。とはいえ、あまり構えずに手にとってもらえたら良いなと思う、そんな作品です。主人公の繊細な感受性にしんみりとします。