出 版 社: 徳間書店 著 者: ペグ・ケレット 翻 訳 者: 吉上恭太 発 行 年: 2011年05月 |
< テッドがおばあちゃんを見つけた夜 紹介と感想>
連続放火魔に銃を突きつけられ、夜の町を連れ回される、なんて体験は、原題どおりの『恐怖の夜(night of fear)』なのだけれど、物語の終わりには、『テッドがおばあちゃんを見つけた夜』という邦題の方にグッとくるはずです。もちろん、主人公の少年、テッドが行方不明になったおばあちゃんを捜し出す物語ですが、人を「見つける」というのは文字通りのことだけではないのだと気づくと思います。そして、人を「見失う」ということも。テッドは大好きだった聡明なおばあちゃんがアルツハイマーになって、次第に人の名前もわからなくなり、おもちゃのお金をずっと数えたり、のべつ賛美歌を歌っていることを、とても辛く感じていました。この病気は治ることはありません。こわれていくおばあちゃんと暮しながら、テッドはただ胸を痛めています。思い出すのは、おばあちゃんと交わした多くの会話や、一緒に遊んだゲーム、大きな柳の木の下で食事をすることを「世界一の野外レストラン」と呼んでいた、そんな楽しい記憶ばかり。それなのに、おばあちゃんは、テッドのことを既に亡くなった自分の弟のデービッドだと混同しているのです。かつてのおばあちゃんを思い出して悲しい気持ちになってばかりのテッド。そんなある日、両親が出かけて家で留守番をしていた夜、テッドとおばあちゃんは恐ろしい事件に巻き込まれることになります。サスペンス仕立てのドキドキするような展開と、児童文学的成長物語がクロスして見事に実を結ぶ、そんなお話です。スカイエマさんのイラストも躍動感と臨場感にみなぎっています。
まずは、連続放火魔の気持ちになって考えてみましょう。いや、そんなことを言われても、という感じですね。とはいえ、放火魔にも放火魔なりの言い分があります。彼の名前はブロディ。狡猾です。また、復讐のために我を忘れています。大切なものを「世の中」に奪われたために、「世の中」に自分と同じ思いをさせようとしている確信犯です。テッドとおばあちゃんは、隣家の家畜小屋の子ネコにごはんをあげようとしていたところ、潜んでいたこの男と遭遇してしまいました。テッドはブロディに連れ去られ、おばあちゃんはその場にとり残されたまま。テッドはなんとかブロディから逃れて、警察に通報しようとするのですが、そのたびにブロディに妨害されます。意外と知恵の回るブロディにかかかると、誰もテッドの言うことを信じてくれなくなるのです。動物がいる小屋にも平気で火をつける残虐なブロディ。テッドはなんとかブロディを止めようとするのですが、一体、どうしたら良いのか。一方、一人では何もできないおばあちゃんの安否も気にかかります。次々と襲いかかってくる困難に打ち勝つための武器は「知恵」と「勇気」。それはかつてテッドがおばあちゃんから教えられたものでした。放火魔と対決し、行方不明になったおばあちゃんを捜し出す。テッドの一晩の冒険は彼を大きく成長させることになりますが、アクションよりも、物語の起点から終点までのテッドの心の軌跡に、是非、ご注目いただきたいと思います。
いつも穏やかに優しく接していられるわけではない。これは介護をしている人には共感できることかと思います。また、優しく接することができない自分に失意を覚えることも共通の痛みではないかと。テッドもおばあちゃんに、つい冷たいことを言ってしまって後悔します。おばあちゃんの今の状態を受け入れられない自分への苛立ちもあるのかと思います。老人と子どもの関係を描いた児童文学作品は数多くあり、加齢による病気もまた良く描かれます。基本的に症状が好転する話はなく、もはやこれは、「どう受け止めるか」のバリエーションだと言えるかも知れません。『いつもそばにいるから』では、数年間の時間をかけて、葛藤しながら、少年が祖父の状態を受け入れていきました。テッドの一夜の出来事もほんのきっかけであって、おばあちゃんとこれからどう暮らしていくのかという未来が暗示されている物語なのだと思います。希望はある。症状が回復するという希望ではなく、病気でも一緒に幸福に生きていくことができるという希望です。その希望を現実に描くには難しいことも多いと思います。だからこそ、あえて物語が描くべき希望だと思うのです。