アーモンド

Almond.

出 版 社: 祥伝社

著     者: ソン・ウォンピョン

翻 訳 者: 矢島暁子

発 行 年: 2019年07月

アーモンド  紹介と感想>

生まれつき頭の中の、感情を司る扁桃体というアーモンド状の器官が未発達な少年、ソン・ユンジェ。知的レベルに問題はないものの、感情は一切なく、笑うことも泣くこともないまま、常に無表情でいます。悲しむことも歓ぶこともない失感情症と言われる状態。そんな特性を持って生まれた息子を心配して、母親は、世の中でどうふるまうべきか、彼に普通の人の受け答えを学習させてきました。そのおかげもあってか、社会生活の上で多少の困難はあったものの、家族に愛され健やかに育ったユンジェは、大きなトラブルもないまま、翌年、十七歳になる誕生日を迎えようとしていました(韓国は年の数え方が複雑です)。彼の誕生日であるクリスマスの日。母親と祖母と一緒に繁華街に食事に出かけた際、事件は起きます。通り魔の凶行によって、突如、母親はハンマーで頭を殴打され、祖母はナイフで刺されます。後にクリスマスの惨劇として報道される事件で、他の五人の犠牲者とともに祖母は亡くなり、犯人自身も自殺する凄惨な結末を迎えます。ユンジェの母親は一命を取り留めたものの意識不明の重体となります。犯人の凶行を前にしても、ただ無表情で成り行きを見つめていたユンジェ。恐怖や悲しみの感情を持たない彼は、この事態をどう受け止めていたのか。父親は以前に事故で亡くなっており、母親は意識を取り戻すことなく回復の見込みもないまま入院中。一人きりになってしまったユンジェは、それでも親切な人たちの好意に支えられ、普通の生活を送っていきます。特異な体質の主人公が衝撃的な事件に遭遇する幕開けから、意外にも物語は緩やかに進行します。チャンピ青少年文学賞受賞作。韓国でベストセラーとなり、日本でも好評で人気を博した作品です。この特異な設定の物語は、通常の感覚を持った主人公では直面し得ない人生の真理を読者に垣間見せていきます。共感や同情を越えた先にある、愛の根源にアプローチしていく、多くを感じとらせる物語です。

ユンジェの母親が古本屋を営んでいたビルのオーナーは母親とも親しく、一人きりになってしまった彼の後見役を買って出てくれました。ユンジェは古本屋の商売を引き継ぎながら、学校にも通えるようになります。しかし、学校で、あのクリスマスの事件で家族を亡くしたユンジェは特別視され、また、そのことについて、特になんともなかった、という彼の無反応は、周囲を騒然とさせるものでした。ユンジェは同級生の態度にも動じることはなく、淡々と学校に通い、入院中の母親を訪ね、古本屋の営業も続けていきます。そんな折、一人の転校生がユンジェの平穏な毎日に大きく踏み込んでくるようになります。ゴニ。彼もまた、ユンジェとは別の意味で「怪物視」される少年でした。非行を繰り返し、鑑別所にも入った不良少年。豊かな家庭に生まれたものの、物ごころつく前に親とはぐれ行方不明となり、劣悪な環境で育てられた彼は、後に本当の父親に救い出される頃には、すっかりグレて、破壊的で反抗的な子どもとなっていました。学校でも威勢を誇示しようとする彼は、あるきっかけから執拗にユンジェをいじめるようになります。もちろん、ユンジェは一切、ゴニの挑発に乗ることもなく、心を動かしません。ユンジェの反応を引き出すことができないゴニは、何故かユンジェの古本屋に通い、傍で時間を過ごすようになっていきます。感情を持たないユンジェはゴニのことを好きでも嫌いでもなく、ゴニに萎縮することも気遣うこともないまま、淡々と正論を言いながら付き合い続けます。けっして親しいわけではない二人の少年の不思議な空間がここに生まれます。やがて、無実でありながら普段の素行の悪さから盗みを疑われたゴニは、世を拗ね、周囲からの色眼鏡通りに生きることを決意し、学校をドロップアウトしていきます。その時、ユンジェが危険を顧みずゴニの行方を追ったのは何故なのか。感情を持ち得ないユンジェと、頑ななゴニの間に生まれた友愛について、言葉にできない気持ちが湧き上がってきます。

発達障がいの子どもたちを主人公にした物語と、どこか共通した味わいがあります。自閉スペクトラム症であろう少年を描いた『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』が思い出されます。主人公のマルセロもまた人の感情の機微が分からず、行間を読むことが苦手でした。国内作品でも『みつばちと少年』のような作品が登場し、世の中と上手くやれない子どもの失意と希望が描かれています。そこに人間性の本質とは何かを見せられるあたりが魅力的です。非常にピュアなメンタルを持つ彼らは、人の気持ちを理解することが苦手であり、その点はユンジェと近しいところがあります。一方で、人との関係性に難渋し、何かに固執してしまう自分の資質に困惑してしているあたりは、ユンジェとは違います。ユンジェには感情がなく、困惑もしません(いや、同級生の女子に僅かに心を奪われる場面があり、そこに自分で戸惑うあたりは、ちょっと良い場面ではなかったか)。ユンジェはむしろロボットに近い存在です。ロボットが感情に揺らされることなく、ただ利他的に行動する姿に人間をダブらせ誠意を感じとってしまうのは、感情を移入してしまう側の問題です。感情をもって行動することだけが人間らしさではなく、ただ為すべきことを為し、人に多くを与えられる在り方に対してこそ、リスペクトを持って人間性を見てしまうものです。ユンジェの真意に関わらず、ユンジェの在り方は立派です。その忍耐も勇気も本人は意にしていないものかも知れないのですが、読む側は心を動かされてしまうのです。大きな愛が描かれた物語です。人間の感情や思惑を越えて、そこに愛はありうるのだと。そんな感慨を抱かされる物語です。