フィッシュ

Fish.

出 版 社: 鈴木出版 

著     者: L.S.マシューズ

翻 訳 者: 三辺律子

発 行 年: 2008年02月


フィッシュ  紹介と感想 >
すべてが推測の域を出ない、という不思議な物語です。ドラマは始まり、そして終わるものの、背後にある事情は判然としないのです。どこかの西欧の国ばのか、なんらかの人道支援団体から派遣された、ある夫妻が、とある開発途上国の村で医療や救護、教育などの救援活動を行っています。NGOのボランティアなのでしょうか。ここは中東のような局地戦に加え、干ばつも続いている貧困な地帯で、村人たちは地雷やミサイルなどの脅威に加え、飢餓にも直面しています。たまに来る大雨は恵みどころか、地盤崩壊を促し災害を引き起こします。そんな不幸の続く土地。紛争の拡大から、村人たちは移住し、救援活動を続けていた夫妻も、ついにはこの土地から退去しなければならなくなります。やむなく帰国。それには、遠く国境まで歩いてたどり着き、友好国で保護してもらわなければならないという過酷な道行が待っています。夫妻の子どもであるタイガーは、豪雨で作られた泥ばかりの水たまりに一匹の綺麗な魚を見つけます。ここから逃げ出すのなら、この魚を連れていって大きな水に放してあげよう。その決意により、ただでさえ困難な旅路を、時に鍋に、時にボトルに入れた魚を持ちながら、タイガーは歩き続けます。両親とタイガー、現地民のガイド、そして荷物をくくりつけられたロバの旅は続きます。虎口からの脱出は、しかしながら、困難を極め、危機的な状況は続きます。タイガーが魚を生かしておくための水は、あと僅か。自らの生命の危険もが迫る極限の中で、果たして家族は、この魚の命を守りながら、国境を抜けることができるのでしょうか。

思わせぶりに書きましたが、魚は魚です。龍や妖精になることはありません。とはいえ、事実関係や固有名詞が最後まで明らかにされないままであるため、魚も、ロバも、ガイドも、両親も、タイガーでさえも、なにかの「象徴」のような気がしてくるのです。だから、この現代の寓話には、鬼や山賊の代わりに、残酷なゲリラが登場することも当然のなりゆきなのかも知れません。地獄から、栄光への脱出を図る冒険小説のようにも読めるし、極限の中での親子の情愛や、生きるということの真理の物語のようにも読めます。少なくなっていく水の中で、だんだんと小さくなって見える魚は、人間にとっての「希望」の象徴であったか。これは、最後まで「希望」を捨てない物語です。凄惨でありながらも、不思議な浮遊感を持つ物語。息の詰まるような緊張感がずっと続く、目の離せない作品ですが、心地良い読後感もお約束できます。

局地戦のリアリズムは、幻想の余地などない地獄を思わせます。地雷や爆撃で身体を失った村の老人や子どもたち。軍人には行き渡る食物も村人たちには配給されない。別の国から両親とともに、この悲しむべき世界にやってきたタイガーの視線が見つめる先にあるものは、意外にもフラットで淡々としたものです。ウェットな悲壮感がない。子どもの視点というのは、案外こうしたものなのかも知れません(それはそれで恐ろしいのですが)。どこか、靄がかかったような世界観。地獄的なリアルでありながら、お噺のように語られる世界。絶えず、ハードな辛さはあるものの、それが表現から除外されているいことに読み進められる勇気を与えられます。一方で、細やかに描かれる心のリアリティに、物語は支えられています。父親は人道の理想はあるとはいえ、この危険地帯に家族を伴ってきてしまったことへの引け目を感じています。すこし勝ち気で、芯の強いしっかりものの母親の心情も想像に難くありません。ミサイルで家族をいっぺんに失ってしまったというガイドには、ちょっとした神秘性もあります。人の心の奥まで見通すような目をした男性。ぐいぐいと読むものをひきつけるアクションめいた冒険譚であると同時に、ほの見える心の機微や、感じ取らせる深遠な「何か」に妙味があります。ここは一体どこで、そして家族はどこに向かっていたのでしょう。そして、あのガイドは何者であったのか。答えは読者それぞれの心の裡にあって、それで良し、というところかも知れません。

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