ブラックホールの飼い方

THE CARE AND FEEDING OF A PET BLACK HOLE.

出 版 社: 小学館

著     者: ミシェル・クエヴァス

翻 訳 者: 杉田七重

発 行 年: 2020年10月

ブラックホールの飼い方  紹介と感想>

子どもの頃、親に学研の『科学』を定期購読させてもらっていました。この本には、科学や宇宙ヘの興味や関心を大いに養われたと思っています(でも文系になりました)。当時、リニアモーターカーについてしばしば特集が組まれていて、それが未だに実用化されていない現在(2022年)も驚くべきところですが、来るべき未来の夢をたくさん与えてもらった気がします。同じく学研の単行本の「ひみつシリーズ」も刺激的で、特に「宇宙のひみつ」は何度も読み返していました。宇宙については時代を追うごとに解明されていくことが多かったでしょうから、子ども向けの科学読み物の内容も進化していったのではないかと思いますが、自分にとっての科学や宇宙の夢は、未だにあそこに留まっているような気もします。その中でも、探査機ボイジャーに触れられた部分には興奮させられました。1977年にNASAが打ち上げた探査機ボイジャーは、太陽系を遥かに越え、外宇宙に向けて人類からのメッセージを乗せて放たれました。ゴールデンレコードという地球の様々な音声を集めたディスクや、地球の位置や人間についての図解などが、他の知的生命によって解読される期待を込めて搭載されています。実に遠大な計画です。SFドラマシリーズ『スタートレック』劇場版の第一作目は、このボイジャーが遠い未来に驚くべき進化を遂げて地球に戻ってくるストーリーでしたが、そんなロマンを想起させられる夢のある大計画ではなかったかと思います。今頃、どこにいるのやら(既に太陽系は出ているはずです)。この探査機にゴールデンレコードなどの宇宙へのメッセージを乗せようとしたのが、天文学者であり作家でもあるカール・セーガンです。本書は主人公の宇宙と科学が好きな11歳の少女ステラが、ボイジャー2号が発射される際に一緒に乗せて欲しいものがあると、NASAにいるカール・セーガンを訪ねる場面から始まります。さて、ステラは何を宇宙に送りたかったでしょうか。心にぽっかりと開いた穴を、ブラックホールが埋めるという奇想のユーモラスな物語ですが、子どもが自分の心と向き合い、その悲しみを越えていく、児童文学作品として、きっちりと心大切な場所に落ちていく物語です。

カール・セーガンを訪ねてNASAに行ったけれど、もちろんアポイントはなく、門前払いとなったステラ。となれば、忍びこむしかないと、建物のなかに飛びこんだものの、結局、諦めて家に帰ることになります。ところが、NASAからステラについてきてしまったものがありました。それは「ぼやっとした闇」です。なんだかわからないその生き物を部屋に入れた途端、それは、なんでも飲み込み、吸い込んで消し去ってしまう。これは、NASAから逃げ出したエイリアンなのか。家にある科学の本をひらいて、この生き物に似たものを探し、たどりついたのは理論天文学に関する本にあった「ブラックホール」です。目には見えない重力の中心で、まわりにあるあらゆるものを飲み込んでしまう。その栄えある飼い主になってしまったステラ。ラリーと名付けたブラックホールを、なんとか飼い慣らそうとするステラでしたが、ステラの大切なものも次々と飲み込んでしまい手に負えなくなっていきます。このままでは地球を全て飲み込んでしまうと思いきや、このブラックホールのより良い活用方法をステラは考えつきます。嫌なもの、忘れたいもの、思い出したくないもの。ステラはそれをラリーに食べさせていきます。悲しくなるものを、記憶ごと消して、全部なかったことにする。驚くべきことに、ブラックホールが消したものは、それが原因で生まれたものもすべてなくなってしまうのです。つまり、過去も変わってしまう。さて、ペットの犬がボールを追いかけてブラックホールに飛びこんでしまい、ステラもそれを追いかけてブラックホールの中へと入っていいきます。そこでステラは、飲み込まれたものたちの変容した姿を見ます。消し去ろうとしたものたちは、ステラに何を見せたのか。ステラが思い出したくなかった大切なことが、本当の姿を表します。

ステラがボイジャーに乗せて欲しかったのは、パパの笑い声を録音したものでした。科学好きのパパの影響を受けて育ったステラは、ちょっと変わり者タイプで友だちもいません。パパと一緒に科学について考えることが大好きだったステラは、パパが病気で亡くなったことから立ち直ることができずにいました。嬉しいことがあった時、パパにそのことを話せないのが悲しい。もう二度とパパと話すことができないという事実を、ステラは消し去りたいと思います。思い出がなくなれば悲しみも無くなるのではないか。その仮説をステラは検証することになります。パパとの思い出を箱に集めて、それをブラックホールに飲み込ませるとどうなるか。パパとの記憶自体が消え去り、ステラはそのことで胸を痛めていたこと自体を思い出さなくなります。しかし、犬を探しに、弟と一緒にブラックホールの中を彷徨うことになったステラは、形を変えたものたちとの再会をここで果たします。ステラがブラックホールに捨てた日記には、未来の自分のために、忘れてはならないと過去の自分が書き記したものが遺されていました。パパの死を正面から見つめたらどうなるか。それをステラは恐れていました。過去の録音テープに残されたパパとの会話が、現在に繋がっています。ブラックホールの中の時間の捻れに依らず、自分の中にパパが生き続けていることをステラは確信します。人間のそんな心の営みを、異星人にも見せたいとステラは思います。科学好きの少女が目をそらさず立ち向かった先に実証されたもの。自分の心の中のブラックホールをどう手なずけるのか。家族の死を乗り越える、という児童文学の普遍的なテーマに挑み、鮮やかな解答を見せてくれる物語です。