ベランダに手をふって

出 版 社: 講談社

著     者: 葉山エミ

発 行 年: 2021年01月

ベランダに手をふって  紹介と感想>

子どもの頃に家族を亡くした体験は人の死生観に少なからず影響を与えるものです。僕も小学生の頃に家族を二人亡くしています。当時は、人が死ぬ、という理不尽に、ただ慄いていたのですが、そこから人生経験を積むことで、人が死ぬのは自然なことなのだと次第に考えられるようになっていきました。もっともそれで悲しみが癒えるわけではないし、やはり早い遅いの問題もあると思います。子どもにとって親との早すぎる別れは精神的な痛手が大きいものです。自分が十歳頃の写真を見ると、ああこんな小さい子が、母親を亡くすのは大変なことだったな、と大人目線で客観的に思ったりするのですが、当時は五里霧中で迷走しながら、それでもなんとか普通のフリをしようと平静を装っていました。やっていたことは、これ以上、家族が死なないようにと、オリジナルの呪文を唱えてみたり、回数や道順にこだわる強迫神経症にもなっていたりと、まあ痛々しいことばかりでしたが。さて、この物語は小学校に入学する前に父親を亡くした少年が主人公です。小学五年生になった彼が、昨年、交通事故でお父さんを亡くしたばかりの同級生の女の子に向ける眼差しが映し出されます。同じ体験をした同級生を見つめることで、自分自身の中にあった未消化な気持ちが顕在化していきます。そしてそれを乗り越えていく、次の季節が訪れるのです。子ども時分の一途な魂にシンクロする、人によってはややハードな追体験なのですが、ここにある児童文学の効用をあらためて認識することができるかと思います。第22回ちゅうでん児童文学賞大賞受賞作です。

小学五年生の輝(ひかる)の日課は、学校の行きがけに、団地の5階のベランダにいるお母さんと手を振り合うことでした。毎朝、お母さんがベランダに出てきて見送ってくれるというのが、朝の「決まり」だったのです。その光景を友だちの智博に見られてしまった輝は、マザコンと言われ、クラスでも言いふらされ、からかわれます。輝としては、まずいところを見られたという思いを抱きますが、この習慣は、お母さんにただ甘えているわけではなく、それなりの経緯と事情があったのです。小学校に入る直前に病気でお父さんを亡くした輝は、入学当時、誰かと突然に会えなくなるのではないかという気持ちが募り、学校に行くのがこわくてしかたなかったのです。お母さんがベランダで手を振ってくれることで、ようやく学校にいけるようになった輝。五年生にもなって、と自分でも思うけれど、それはもはや習慣だったのです。そんな輝を励ましてくれたのは、同級生の香帆でした。輝はお母さんと二人きりなんだからおかしいとは思わない、という香帆もまた、昨年、事故でお父さんを亡くしていたことを、輝は知っていました。それからというもの、輝は香帆のことが気になりはじめます。お父さんが突然の事故で死んでしまって、お母さんもまた心を病んでしまったという噂もある香帆。お母さんと一緒に香帆が運動会で親子二人三脚競争に参加するという話を聞き、輝は驚きます。毎年、祖父と一緒に競技に参加していた輝はアドバイスするかたわら、お母さんとの再出発をこの競技に参加することに期しているのだと香帆から打ち明けられます。香帆の気持ちを慮りながら、自分自身の両親に寄せる気持ちを振り返り、見つめ直していく輝に、すこし大人になる季節が近づいていました。

家族の死を乗り越える、というテーマが重いのは、どうあがいても取り返しがつかないことへのチャレンジだからです。取り返せない代わりに、何を得たら、人は心を癒やされ慰められるのか。正解はないのですが、ひとつの回答として、誰かを慮ることの効用はあるのかと思います。自分の中の悲しみに向き合い続けても、そこから先に進めないものです。生きる気概はどうすればえらえるのか。何をやってもどうにもならないという失意から立ち上がるには非常に時間がかかります。それは物語の中の短いスパンでは描かれえないものです。それでもいつか笑顔を取り戻せるのだと、それが人を悼むことにもなるのだと、人と気持ちを分け合うプロセスを味わえる物語の醍醐味を思います。ケレン味のないストレートな物語で、古くも新しくもなく時代感覚を超越したところがあります。作者はかなり年配の方かと思いきや、1981年生まれの方でやや驚きました。いや、時代を越える普遍的なテーマを現代感覚に依らずに描いた作品ではないかと思います。なかなかスイッチを押すようには、人の心は切り替えられません。実感として、小学五年生が、ここで一歩先に進むのは大変だと思うのです。それでもちょっと意地を張って無理をするものです。そのいたわしさを見守る大人読者にも、共に歩む子ども読者にも、感慨深い物語になるかと思います。まあ、焦って大人になろうとせず、のんびりやりましょうと言ってあげたいですね。本編のイラストが広角のカットの構図が多く、なかなか素敵なのでした。