青く塗りつぶせ

出 版 社: ポプラ社

著     者: 阿部夏丸

発 行 年: 2021年07月

青く塗りつぶせ  紹介と感想>

いじめられたり、悪意を向けられた時には、怒っていいはずです。多勢に無勢だったとしたら、広く支援者を求めて、一緒に戦ってもらうべきだと思います。ところが概してそうはいかないもので、いじめられたり、叩かれる側は、大抵、孤立して、ひっそりと黙りこみます。これは教室やネットでのいじめも同じかも知れません。いじめられた側は傷ついたまま、情けなさや不甲斐なさを自分に感じます。つまりは人の悪意によって心を蹂躙されてしまうわけですが、ここからどう胸を張って、姿勢を立て直していくかが肝要です。この物語の主人公の少年は、小学校でいじめに遭い、不登校に陥ります。理由がわからないまま無視され続けて、居場所を失ってしまったのです。そんな時、父親が東京に転勤することになり、住んでいた名古屋を離れて一緒に東京に行く、のではなく、母親と二人で離島に移り住むことになります。母親は、おそらくは彼の心を回復させるために、こうした手段に出たのでしょう。同じ学年の子が六人しかいない離島の小学校に通うことになった主人公は、親しい友人たちを得て、自然の恵みに満ちた環境で癒され、回復していきます。ただ、どこかに、いじめられていた自分自身へのわだかまりがあるし、そのことを、新しい友だちにも公言はできないのです。これこそが、いじめがえぐった深い傷です。この傷は生涯回復しません。とはいえ、この0地点があったからこそ、見える景色もあります。空も海も一面、青く塗られた世界。そんな島での暮らしが傷ついた少年を変えていく、さわやかな成長物語です。

人口五百人ほどのちっぽな島、日ノ島(ひのしま)。セイが、この島に引っ越してきて一年が経ち、六年生に進級しました。なにもない退屈な島の一学年六人しかいない小さな学校に最初は馴染めなかったセイも、親しくなった同級生のタクミに誘われ、貝を採ったり、魚を釣ったり、アクティブに遊ぶようになり、島の暮らしを楽しめるようになっています。自分以外、幼なじみ同士である同級生たちは仲が良くアットホームな雰囲気で、そんな中にセイも混じって打ち解けていきます。同級生の一人、カイトが学校にこないことを皆んなが気にかけていました。両親を海の事故で亡くしたカイトが、学校にこないまま祖父の漁を手伝っていることは問題視されています。カイトは老齢の祖父を助けながら、父親も生業にしていた漁を学ぼうとしていました。父親が残した借金もあり、それをなんとかしたいと考えているカイト。セイは名古屋から逃げた自分と引き比べ、この島で戦おうとしているカイトに羨望を抱きます。同級生の女子、ミナミの発案で、皆んなでカイトを助けようとお金を稼ぐための会社を作る決意をします。島でとれる貝殻やピーチグラス(丸くなって角のとれたガラス片)などを拾い集め、ネットショップで売る。パソコンが得意なタクミの兄のユズルも仲間に入り、商売は順調にスタートします。この活動がテレビで紹介されたことから、注文が殺到することになるのですが、同時に多くのバッシングも集めることになります。漁業権などの複雑な問題も持ち上がり、謂れのない悪意に満ちた批判も受けるようになります。ただそこからセイは悔しさ悲しさを友だちと共有し、自分中の怒りを解放することを覚えます。都会でいじめられ心を閉じていたセイと島の子どもたちの心がシンクロする。島には豊かな自然の恵みがある一方で、夢を持てず、将来が見えない閉塞感もあります。アットホームであると同時に過干渉であり、頭ごなしの決めつけや偏見もまた横行しています。子どもたちもまた将来に悩み、島での暮らしに不満や怒りを抱くこともあります。空の青、海の青。青に満ちた島の情景の中で、子どもたちは自分の進む道を見出していくのです。ちょっと大人びた女子であるミナミや、やんちゃなタクミとのやりとりが楽しく、まだ傷が癒えないまま凹んでいるセイが、無理をして、突っ張って新しい友だちと付き合っている感じも良かったですね。

この物語では子どもたちがネットショップを立ち上げることが重要なポイントとなるのですが、そのディテールにやや違和感がありました。というのは、自分が10年ほど仕事でECサイトの運営に携わってきて、その辺にわりと詳しいために色々と細かいことが気になってしまうのです。ネットショップを作る上での障壁や苦労するはずの点がスルーされているし、バックエンドがちゃんと描かれないことが気にかかるのですね。この部分にリアリティがないために、後に表面化するネットショップの運営上の問題点が響いてこない、というか、そもそもこのショップは大丈夫なのかと心配になるあたりが自分にとってはノイズで、物語を楽しめなかったところがあります。これはたまたまのことで、実際、世の中のほとんどの職業ことは知らないので、物語に描かれていることを信じるしかありません。この物語の漁師さんたちの感覚や価値観も、そういうものなのか、と驚かされたところがあるのですが、これも作者のまったくの創作だとすると、物語の地平自体がけっこう揺らぎます。本編の感想とはややズレるのですが、物語の中のベースとなるものを疑い始めるとなんだか不思議な感覚に陥ってしまうのは、児童文学が大人の良識や価値観に抗うことをテーマにしがちだからでしょう。その良識や価値観は本当なのかと疑い始めると、まともに鑑賞ができなくなっていきます。その世界の当たり前と当たり前じゃないものに相克を感じとるには、自分が広く世界を知らないとならないのですね。いや、物語の世界観を信じるべきなのか。大人はわかってくれない、ものですが、大人のベース自体が変わってきてしまうと物語の前提が揺らぎます。実際、大人もまたリベラルになっており、偏見のステレオタイプもまた変遷しているはずでしょう。現実と物語のズレについて、現在書かれた作品を現在読むことの意義を、非常に考えさせられた作品です。