出 版 社: スターツ出版 著 者: 冬野夜空 発 行 年: 2020年01月 |
< 一瞬を生きる君を、僕は永遠に忘れない。 紹介と感想>
この物語の魅力のひとつは、お互いを「君」と呼び合う高校生男女の関係性です。名前でもなく、姓でもなく、あだ名ですらない二人称の「君」です。それは当初、なるべく相手に距離をおこうとする主人公のよそよそしさの表れであったはずですが、その「君」が、限りない親愛が込められた呼称となっていくプロセスに味わいがあります。なにせ写真を撮ることが趣味の目立たない男子が、学校でも人気者の女子から「君を、私の専属カメラマンに任命します!」などと宣言されるのです。鼻白むどころか、警戒感を募らせるのは当然のことであって、これはなにかたくらみがあるのではないかと思うのが普通でしょう。自分が可愛いいことを鼻にかけたようなモデル志願の女子の物言いもまた、地味系男子にとっては癪に触るところであり、迂闊に近寄ると酷い目に遭わされるのではないかと思ってしかるべきです(まあ、そこで有頂天になる楽しい物語も色々とありますね)。ということで、相手の名前を呼ばずに「君」と呼ぶのは、心の防波堤です。この適切な距離感を前提にしたところから始まる物語であるがゆえに、次第に深まっていく二人の関係性にグッとくるわけです。スターツ出版の刊行書籍には、「君(きみ)」をタイトルに冠した多くの物語があります。誰かを「君」と呼べるのは、相手に向き合っているからであり、そこにある仄かな恋愛の兆しは床しいものです。同い年の異性から君(きみ)と呼ばれるシチュエーションというものに、歳をとるとノスタルジーを感じるものですが、もちろんリアルタイムの中高生にも響くところがあるのではないかと思います。うまく人と打ち解けられず、不器用な関係性しか作れない高校生男子の主人公の心の軌跡は、その頑なさが解けていく様に味わいがあり、しばらく面映さを味わっていたいものですが、この物語には「余命もの」というテコがあるため、急速展開にならざるを得ません。なにせ残された時間は短いのです。物語が行き着く場所で抱くだろう想いはあらかじめ折り込み済みです。それをどう受け止めるか。そこにもまた面映いサムシングが待ち受けています。
突然、クラスの人気者の女子、香織に屋上に呼び出された輝彦は、自分の専属カメラマンになって写真を撮って欲しいと頼まれて戸惑います。写真部に所属しているとはいえ、なぜ自分なのか。しかも風景写真が専門の輝彦としては、人物写真を撮ることは不得意なのです。たしかに花火大会の日、思わず香織にカメラを向けてしまったことはありました。それを盗撮だと脅されて、輝彦は仕方なく、香織の撮影プランに付き合うことになるのです。明るく屈託のない香織は、地味で愛想も良くない輝彦とは真逆のタイプであり、強引になんでも決めてしまう彼女に、当初、輝彦は反発を覚えます。距離を置いて「君」としか香織を呼ばない頑なな輝彦を、香織もまた、揶揄うかのように「君」と呼びます。積極的にアプローチしてくる香織に戸惑いつつ、彼女の撮影プランにつきあい、一緒に出かけるようになった輝彦は、やがて彼女の明るさの裏に隠されたものを、看護師である自分の母親を通じて知ってしまいます。彼女は血液の病気におかされており、その余命があと僅かであること。学校では内緒の、二人だけの秘密を共有することになった輝彦は、大いに逡巡します。病院で、病んだ人たちのポートレートを撮り続けて、自分も心を病んで早逝した父親からそのカメラを譲り受けた輝彦。香織にどう向き合ったら良いのか悩みます。それでも自分自身の葛藤を越えて、香織のためにできることを輝彦は模索していきます。彼女の輝く瞬間を引き出すこと。一瞬を永遠に繫ぎとめるために輝彦はカメラのシャッターを切るのです。
“物語の筋立ては単純で、登場人物も実に少なく、またアンビバレントな要素もないストレートな展開です。とはいえ、奥行きがあるのは、笑うことが苦手で騒がしい場所を避けようとする性格だと自認している輝彦の主観よりも香織の視線の方がよりシビアで、この「根暗で卑屈で孤独な少年」の実像を真っ直ぐに見つめているところです。要は、この主人公は、けっしてモテないタイプながら、ちょっと世を拗ねてカッコをつけている、鼻持ちならないヤツなのですが自覚は乏しいのです。ワルでも優等生でもなく、なにか秀でたものがあるわけでもなく、プライドが高いけれど、卑屈でもあるという、複雑なようで、よくいるタイプの地味系高校生男子です。その優しさも気の弱さなのかも知れず、タフなハートに裏打ちされたものではないのです。そんな彼を鷹揚に慈愛を持って見守っているのが、死に瀕している香織であるという構図が「泣かせる」のです。余命いくばくもない可哀想な女の子、の方がむしろタフであり、周囲が自分のことで心を痛めることを案じています。ただそれもまた虚勢ではあるのです。気丈に振る舞う瀕死の少女に、いったい何ができるのか、少年はここで覚悟を決めなければなりません。何をしたところで後悔することにはなります。おおよその物語は、遺される側にスポットが当てられています。人を見送ることが、生きることだからです。彼女が生きた一瞬を永遠に繫ぎとめるのは写真の中だけはありません。輝彦の心の中で香織の存在が大きくなっていきます。香織に輝彦が与えたものより、輝彦に与えられたものの方が大きく、その想いを繋いで輝彦がこれからを生きていく、その未来に、やはり面映い想いを抱いてしまうのです。無論、良い意味でです。彼が生き続けることが彼女を生かすことであるという、それは愛おしくも切ないロジックです。誰かと共に生きる未来を、余命など意識せずに尊く感じたいものですが、なかなかそれに気づけないこともまた考えさせられます。 “