エレベーター

Long way down.

出 版 社: 早川書房 

著     者: ジェイソン・レナルズ

翻 訳 者: 青木千鶴

発 行 年: 2019年08月

エレベーター  紹介と感想>

ビルを下りながら、どう考えたか。「とかくに人の世は住みにくい」ことは確かです。これは、エレベーターに乗って、ビルの上層階から地階へと降下していく少年が、各階ごとに乗り込んでくる人物と対話する物語です。それぞれが少年にゆかりのある人物で、共通しているのは、全員が既に死んでいる、という点です。象徴的な意味あいを持った死者が訪ねてきて、主人公に示唆を与える、というのは物語の常套ですが、その死者がエレベーターの各階ごとに乗り込んできて、そのまま中に留まり、どんどんエレベーター内の人数が増えていくという展開は、かなり奇抜です。決意と覚悟を持って建物の外に出ようとしている少年に、今一度、考え直させる契機を運んでくる訪問者たち。死者が夜な夜な枕元に立つのではなく、エレベーターに乗り込んでくるというシチュエーションの描き方が巧妙です。だって、どんなに恐くても逃げようがないのだもの。エレベーターの閉塞感。知ってはいるが親しいわけではない、ぐらいの知り合いと乗り合わせてしまった時の気まずさなど、誰しも経験があるのではないかと思います。そんな時は、軽く会釈などしてやり過ごすしかないのですが、ほんの数秒のはずの搭乗時間が、妙に長く感じることがあります。エレベーターの体感時間はそんなふうに気持ちひとつで変わるものですが、物語の大半をエレベーターが占めるという展開には驚かされました(エレベーター小説なんて『死刑台のエレベーター』か『永遠も半ばを過ぎて』ぐらいかと思ったのですが、SFだと軌道エレベーターモノがありますね)。散文詩で語られる横書きの印象的なスタイル。増幅し振幅が大きくなっていく心象風景。これから人を殺しに行こうと銃を握りしめた少年の緊迫感は脈打ち、高まる鼓動が聞こえてきます。長い長い、いや、狭い狭いエレベーターの話です。

兄のショーンが射殺されたことで、十五歳のウィルは悲しみに打ちひしがれていました。ただ悲しみに沈んでいるだけではいられないのは、薬の売人やギャングがはびこるこの町には掟があるからです。泣いてはいけない。愛する誰かが殺されたなら、警察に頼らず、自分で犯人を見つけ出し、復讐しなければならない。そのために必要なものが、兄の使っていた箪笥の引き出しから見つかります。弾がこめられた銃。そして、兄を撃った相手が誰なのかもウィルには心当たりがありました。となれば、復讐へと踏み出すために、銃と決意を持って、自分の住むアパートメントの8階からエレベーターに乗りこまなければならないのです。ウィルは計画を立てます。犯人はかつて兄の友人だったリッグス。その家に行き、彼を呼び出して、片をつける。持ったことのない銃を持ち、落ち着かない気持ちのまま部屋を出て、エレベーターに乗り込み、階下に下りるボタンを押す。普通は、このまま地階にまで下りられるものですが、こんな時に、各階ごとに停止して人が乗ってきます。最初はウィルの兄、ショーンの兄貴分だったバック。俺の銃のことを確認しにきたというバックの言葉で、ウィルはこの銃が、バックから兄に受け渡されたものだと知ります。今は死んでいるはずの男が目の前に現れたことでウィルは戸惑います。しかし、バックは悠然とした態度で、お前には欠けているものがあると言うのです。一体、バックは何のためにこのエレベーターに乗り込んできたのか。不思議な時間がここから始まります。

ほんの数十秒のはずのエレベーター内の時間が延々と続きます。バックを乗せたまま、次に乗り込んできたのは、ウィルの幼なじみで、八歳の頃に流れ弾に当たって死んでしまったダニ。成長した姿で現れたダニは、ウィルにこれからどうするつもりなのかと問いかけます。この後も各階でウィルには馴染み深い人物たちが、エレベーターに乗り込んできます。階下に進むごとにウィルにより身近な人物が現れて親しげに話しかけてくる。もちろん、最後には、ウィルにとって最も大切だった人が現れます。興味深いのは、皆、ウィルにどうするつもりなのかと問いかけはするものの、復讐を止めろとは言いません。ただ、死者である彼らの存在自体が雄弁に物語っているものがある。ウィルの心の中に反響する言葉が、大胆なレイアウトで縦横に広がっていきます。誰かに自分を止めて欲しいというウィルの願いが生み出した幻想だったのか。物語の最後のページで、ウィルが問いかけられる言葉が印象的です。YESかNOか。その答えがどちらかで変わる未来があります。治安が悪く荒廃し、流れ弾が飛び交い、いつ撃たれるかわからないような絶望的な街。復讐の連鎖によって、人の命が失われ続けるのはこの町の掟があるから。もし、思いとどまる、ということができれば、未来はここから変わるかもしれない。少年にはまだ希望が残されています。装画が非常に印象的です。ジーンズを腰ばきにした黒人少年が銃を後ろ手にしのばせて、落書きだらけのエレベーターに今にも乗り込もうとしている。その心に渦巻く葛藤を詩的に劇的に見せてくれる一冊です。巻末に著者から寄せられた謝辞はとても力強く、心を揺さぶられます。ここでは、少年院などの更生施設ですごしている少年少女たちに、やりなおすことができるのだと直接的なメッセージが送られています。物語が見せてくれた少年の心象世界との掛け算によって、作者の思いにより深く感じいる胸を打つ一文です。