出 版 社: 講談社 著 者: 柏葉幸子 発 行 年: 2023年10月 |
< 人魚姫の町 紹介と感想>
本書はアンデルセンの『人魚姫』がモチーフになっており、冒頭にお話の要約もされています。その対比として、ここから派生した、ハッピーエンドで終わる、あの物語(アニメ)にも言及されます。小学校での読み聞かせの最後を、いつもアンデルセンの『人魚姫』で締めくくる、という人物が登場しますが、子どもたちからは、知っている物語と終わり方が違うということで不評なようです。まあ、子どもとしては、それが自然な反応かとも思います。自分も小学二年生の時にこのお話(アンデルセンの方)を先生がお話ししてくれて、大きな衝撃を受けました(なので記憶にも残されています)。後にあのアニメを見た際にも別の意味で驚かされました。終わりよければすべて良いので、人魚姫の苦労が報われてめでたし、なのかは考えてしまうところです。またハッピーエンドによって失われるものが、ここで照射されることになりました。『人魚姫の町』というタイトルも、あの二つの結末を踏まえるとメタファーが深まってきます。不穏な展開ではあるものの、アンデルセンの『人魚姫』が、不幸な結末であったかどうかは観賞次第です。もっとも小学生が受け止めるには、多少の解説が必要な気もします。上手くはいかなかったとはいえ、人魚姫は自分の意志で「人生」を生きて、決断を下したのです。この物語で『人魚姫』を読み聞かせる人物は、本来の物語のモチーフを匂わせることを意図しています。人魚姫のように、人間ではないものが人間になることで、得られるものと失われるもの。その先にあるものを物語は見せてくれます。もとより人間であっても、多くのものを失いながら生きています。いや、全てがゼロベースだとすれば、生きられただけでもプラスだったか。東日本大震災で多くのものを失い、自分の未来をも見失ったままの主人公が、この喪失から長い時間を経て、新たな兆しを見つける物語です。作者の『岬のマヨイガ』と同じく、東日本大震災を起点にした、ファンタジーとリアルが混淆した世界線に結ばれるものが深い感慨を読者に与えます。
東日本大震災で被災し、祖父母と母親と兄弟を失った少年、宏太。父親は家族を失った失意から立ち直れず、故郷の町を離れ、知り合いのツテを頼んで、宏太と二人、静岡の焼津の移り住みます。宏太は、被災した町から逃げるように去ったことを今も気に病んでいました。父親は亡くなり、宏太も高校を卒業して就職したものの長くは続かなかったのが、自分がどう生きていったら良いのか道を見つけられないままであるからか。迷える宏太は、町を出てから初めて故郷を訪ねることにします。とはいえ彼には帰るべき家はありません。故郷に向かう途中、乗合バスで小耳に挟んだのは、砂婆(すなばあ)の消息でした。震災で亡くなった祖母が親しかった友人である砂婆が存命であり、なんらかのトラブルに巻き込まれているという噂を聞きつけた宏太は、砂婆を訪ねてみることにします。果たして、宏太を覚えていてくれた砂婆に、宏太は、砂婆が一緒に暮らしているという楓という少女の力になって欲しいと頼まれます。楓を探して小学校に行きついた宏太は、そこで十五、六歳と思われる楓と出会います。何者かに追われながら、誰かを探しているという記憶のない少女。そして、小学校で読み聞かせのボランティアをしている岩瀬さんという女性と知り合った宏太は、この町に伝わる「海からきた人たち」の伝承を聞きます。楓もまた、人となった「海からきた人」ではないのか。果たして人外の者であった楓は、元の姿に戻るか、このまま人となるのか、の岐路にたっていました。行方不明になった楓を探しながら、宏太は自分自身の逡巡する心の行方も探していきます。逃げ去った故郷に自分は何を求めていたのか。楓が探している人は誰なのか。それぞれの心が求めていた答えは、物語の終わりに見出されます。
自分が逃げてしまった場所に戻る、というのは勇気がいることです。宏太の場合、故郷にいることに耐えられなかった父親に連れられて、ここを離れたという不可抗力もありますが、やはり複雑な気持ちを抱いています。戻ってみれば、町は復興しているものの、自分はそこに何も与することがなかったという後ろめたさがあります。自分を知っている人に気づかれないようにしたい。自分はこの町の人間だということも胸を張って言えない宏太の苦衷が描かれます。それでも、かつての宏太を覚えていてくれて、迎え入れてくれる人たちの言葉に、宏太は自分の居場所を見出していきます。それは楓が探していたものにも通じるものです。自分はどこに帰りたいのか。何を欲していたのか。そして、どこに進んでいけば良いのか。どのような結論であっても、その選択を自分で決めることに意味があるのだと感じ入ります。人生を生きるとはなにか。ファンタジーであり、不思議な力が飛び交う荒唐無稽さもありながら、人として生きる悦びを人ではない者たちの渇望から描く視点は、人間存在の根幹に迫ります。宏太の孤独な魂が慰められた旅です。不思議な出来事や怪異がすんなりと受け入れている世界線ですが、深く抉られた心の傷は「不思議な力」で治ることはないし、人の意思で越えていかなくてはならないということにファンタジーの境界を感じます。魔法もまた万能ではないのです。