人魚の夏

出 版 社: あかね書房

著     者: 嘉成晴香

発 行 年: 2021年07月

人魚の夏  紹介と感想>

合唱は好きだが合唱団は苦手、というメンタリティがあります。合唱という活動の性質上、いかに人と協調するかが問われるものですが、色々な人たちが集まった「団」という人間関係の坩堝で右往左往することは辟易してしまうものです。これは本格的な合唱団も、クラスの急ごしらえの合唱団でも通じる心理ではないかと思います。だからこそ、共通の目標に向かっていくなかで、気持ちのわだかまりが解けていくあたりにカタルシスがあるのですが、現実的には難しいなというネガティヴな感慨を抱いています。本書は、小学生がクラスで合唱コンクールに挑むお話です。これがすんなりといかないのは、色々な障壁が立ち塞がるからなのですが、子どもたち同士の反目やぶつかり合いが起きて、より複雑なことになっていきます。もちろん、最後は収まるべきところに美しく収まる安心感はあります。物語のもう一つの重要なファクターが「人魚」です。というか、人魚に仮託された「何か」です。転校生である「人魚」は異質な存在です。その異質さを集団がどう受け入れるか、という問題が、「合唱」という協調が必要とされる、より面倒くさいシチュエーションで問われるのです。今の時代(2022年現在)の、特異な存在もおおらかに受け入れるべきだし、少数派への配慮を行うべきだという良識が大いに発揮されます。そんな意識の高い物語が抒情的な美しい光景の中で描かれていきます。さて、人魚と合唱といえば、中原中也の「北の海」に曲をつけた合唱曲を思い出すというのは、おそらく合唱経験者の方だけかと思います。海にいる「あれ」は、結局なんだったのだろうかと、あの詩の世界にはいまだに耽溺していますが、本書の海はもっと南の方のイメージです。

小谷千里(ちさと)が海の岩場で誰かに声をかけられのは、小学五年生になる直前の春休みのことでした。海面から顔を出して、千里のことを呼ぶのは、海野春と名乗る長い髪をした人魚です。母親の友だちだという海野春から、自分の子どもが千里の学校に転校するから仲良くして欲しいと千里は頼まれます。果たして、新学期にやってきた転校生、海野夏は、男の子とも女の子ともわからない美しい容姿をした子でした。さっそくクラスの人気者になった夏。人魚であることを知っている千里に、夏は、この秘密を人に話してもかまわないと言います。けれど、この秘密を千里が誰かに話したら、夏は大人になった時、陸には住めなくなくなるというのです。それでも良いというのは、一体、何故なのか。一年間、秘密を守りぬかなければならないことが、千里にプレッシャーを与えます。さて、千里のクラスは合唱コンクールに参加することになります。学校で代表に選ばれたら街の小ホールで歌唱することもできるのです。自信がないながらも伴奏者に選ばれた千里ですが、この件を巡って、クラスでは小さな対立が起きていました。千里を夏が推したことは小さな波紋を呼び、また歌が上手い夏が人前では歌を歌わないことが反感を招きます。人魚が歌を歌うと雨や嵐を呼んでしまうことを知った千里は、どうやって秘密を守りながら夏をかばうか悩みます。クラスのリーダー的存在であるレオのはたらきかけのおかげで、危ういバランスながらも、夏は、クラスの合唱に上手く参加していくことができます。やがてコンクール当日、クラスも会場の人たちも、頑なに歌わなかった夏の伸びる澄み切った声を聞くことになります。その歌声は嵐を呼ぶことになるのですが、もっと大きな歓びに包まれていく子どもたちの姿がそこに結ばれていくのです。

理路整然としていない物語です。話の筋道がセオリー通りではない。そのありきたりじゃないところが魅力です。それは、問題の中心にいる人魚の夏が、ごく自然体であり、とくに葛藤するわけでもないからです。夏の秘密を知る千里は、夏の立場の危うさについて心配しているものの、同級生たちに上手く働きかけることはできません。一方で、気のいいマイペースな少年レオは、夏に何か事情があることを察しながらも教えてはもらえず、それを悔しく思っています。それでも好意的な解釈によって夏を擁護し、上手くクラスに溶け込めるように計ってくれます。夏が人前で歌えないのは、何かトラウマがあるせいだろう、なんて勝手に斟酌してくれるお陰で、周囲もまた夏に理解を示すのです。大人しい主人公の少年、千里が丹念に人の誤解を解き、夏への理解を求めていくような、友情と努力の展開ではなく、揉めながらも、子どもたち同士はなんだか上手く調和していく。そこには異質な存在である夏を受け入れようとする、物語の好意的な意思が働いている気がします。人魚の子どもにはまだ性別がなく、学校にも届け出ていないのですが、うまく気遣われてなんとかなっています。夏は、所謂、ジェンダー的に難しい人であったり、心の感覚が普通ではない人、を類推させる象徴的な存在です。そういう人たちを社会がどう受け入れるべきか。抒情的で美しい物語なのですが、暗にそうしたテーマが問われている作品です。自分には理解不能な人の行動や心情を慮ることはなかなかできないものです。それでも共に生きていく歓びというものはある。理解されなくても、うまく受け流してもらえるぐらいが良い塩梅かと思っているのですが、人と人との心のハーモニーを大切にすべきですね。ということで、人生は合唱で、世の中は合唱団です。そして合唱団が苦手な人もまた、おおらかに受け入れられても良いはずなのです。千里の母親と夏の母親の海野春との小学生時代のエピソードなど読みどころ満載ですし、まめふくさんの挿絵はいつもながら物語を美しく彩っていますね。