出 版 社: 講談社 著 者: 片川優子 発 行 年: 2004年07月 |
< 佐藤さん 紹介と感想>
幽霊と人間の本性とどちらが怖いか、などと言い出した時は大抵、後者の方にフォーカスされるものです。児童文学はなかなかホラーにはならないものですね。この物語の主人公の高校一年生の男子、佐伯君は、霊が見えてしまう体質で、同級生の女子、佐藤さんがやたらと憑き物をつけて登校してくることに恐怖しています。佐藤さん自身もそのことには気づいているのですが、佐伯君ほどはっきりと視えているわけではありません。佐伯君に霊が視えることに気づいた佐藤さんは、佐伯君に自分に憑いている霊の正体を確かめさせて成仏できるよう手がかりを探らせようとします。親しいわけではないけれど、同級生で、優しくていい人だと思っていた佐藤さんの意外な強引さに佐伯君は引きます。普段は猫を被って大人しそうなフリをしていたのだと知らされて、少なからずショックを受けるのです。佐伯君は人に高圧的な態度を取られることにトラウマがありました。それは中学生の時、同級生の言いなりにされ、いじめられていた体験があるからです。そのことは佐伯君の心から離れず、今も深く傷きながら、自分に自信を持てないまま高校生活を送っていました。憑き物体質の佐藤さんに関わって、彼女に憑いていた幽霊を成仏させる手伝いをすることになりますが、幽霊は何故かそのまま佐藤さんの守護霊になってしまいます。守護霊が視える佐伯君は、間に入って佐藤さんとも親しくなっていくのですが、どうにも腰が引けています。それなのに、どうやら佐藤さんは佐伯君に好意があるらしいのです。可愛くないわけではない佐藤さんに好かれて、嫌ではないけれど、まずは佐伯君には克服しなければならない心の壁がありました。陽気な守護霊に叱咤、激励されながら、不甲斐ない少年である佐伯君に兆していく変化を、楽しく見守っていられる物語です。
刊行当時に読んで以来の再読です。今回、文庫版で読み返していたのですが、随分と整っている感じがするのは、後から手が入っているからか。あれ、シンバルズの話がなくなっているなあとか、固有名詞の違いなどもあります。この作品、現在(2020年)も第一線で活躍されている片川優子さんが中学生当時に書かれ、講談社児童文学新人賞佳作を受賞された作品ということで話題になったものです。中学生らしい感受性と、中学生離れした思慮や表現力にインパクトを受けた作品でした。今回読んで、その人物造形や心境描写により深さを感じたのは、作品が変わったのか、自分が読者として変わってきたからか。やはりその時、その時に感じたことを書き留めておくべきですね。ともかくも、この物語、作者の若さやパワフルさとなぜか老獪な筆致が共存する絶妙なバランスの一冊なのです。作者が中学生の時に高校生が主人公の物語を書いていて、そこに主人公の痛恨の中学生時代が過去の時間として描かれているという、そんな位相が不思議で面白かったと記憶しています。そうした要素は物語にとってノイズかも知れないのですが、この物語の世界を拡張して見せてくれた気はしました。とはいえ、そんなことを気にせずに読んでも十分に面白いというのが、今回の再読で感じたことです。青年が老人の物語を書くこともあるのが文学の世界であるのですよね。
自分が本当は何を恐れているのか。恐ろしいのは霊ではなく、人間が人間を貶めようとする悪意です。その悪意に侵食されたままでは、人は立ち上がることができません。佐伯君は、かつて自分をいじめていた中学の時の同級生を訪ねて問いただし、謝罪させようとします。自分が恐れていた相手と正面切って対峙すること。恐怖の核心から目を背けていたのでは、自分を克服することができないのです。気弱な少年が絞り出した勇気に、息を呑みます。佐伯君が物語の後半にここまで踏み出していけたのは、物語を通じての佐藤さんとの関係性があったからです。教室で、高原学校で、デートで、一緒に高校生ライフを送りながら、佐伯君は佐藤さんの色々な面を見ていきます。強気なだけではなく、毅然とした態度で自分なりの正しさを真摯に貫く姿にも、心を動かされていきます。やがて佐伯君は佐藤さんが隠し持っていたネガティヴな部分が霊を引き寄せていたことを知ります。そして、佐藤さんの痛みを受け止め、一緒にその心の壁に立ち向かおうとするのです。互いに心の距離を近づけていく姿が、ポップでありながらもケレン味のない実直な文体で描き出されます。綿密な思慮が言葉になりすぎているきらいはあるものの、思春期の思惑の実況中継を見せてもらえたようなような気がする稀有な作品です。